心の病は、社会の病。

みんなが幸せに生きていけるように、より良い社会を求めて。

2013年7月19日金曜日

共存の道は…悲観的すぎるでしょうか。

こんにちは、大森です。
ほんとうに暑いですねー、あと2ヶ月近く続くのかと思うと気が遠くなります(笑)

今回の「甘え、ナルシシズム論争」で思い出したことがあります、それは「常連」です。
2010年7月に、自分のブログに「常連が店をつぶす」という記事を書いたことがあります。
http://www.streamline.co.jp/?p=258

日本人は都会の中でも「よそ者は排除」や「仲良しグループ」モードが全開してしまう場合が多々あります。

本来は他所(よそ)さまであったり、みんなの場所であったりする空間が、通いなれて親しくなるに連れ、ある瞬間に自分の家のように錯覚してしまうのだと思うのです。お店の店主も、常連も「家族のようなもんだから…」ということで相互に依存してしまう…これが日本人の甘えなのではないでしょうか。

西欧のように神という超越した価値がある場合は、みんな神のもとに平等なのだから神のルールに従うべし、ということになり、どんなに親しい間柄であれ、他所(よそ)さまやみんなの場所では決められたように振る舞え、ということになる。だからこそ、神の教えが異なる国や民族の間では規範に基づく争いが絶えないのでしょう。

ひるがえって日本人には、西欧の神のように超越した共通価値がなく、私たちの規範は家族によってもたらされます。他者との関係も「家族それぞれだから、しょうがないよね」ということで理解しあう以前に諦めている、というか、「それぞれの家族を認めることが日本人の優しさ」だと思っているところもあります。

できれば、良い距離感でお互いの存在を侵害せずに共に生きていく、これが日本人の知恵でありスタイルかもしれません(私はこれが大好きです;笑)。

どうなのでしょうか、西欧の人は神に囚われている限り、日本人は家族に囚われている限り、どうであれ人間は他者を理解する事など、できないと思ってしまう私は、悲観的すぎるでしょうか(笑)

0 件のコメント:

コメントを投稿