こんばんわ。早川です。
上原さんの「「空気は読む」けれど「人の心を思いやっているわけではない」」という言葉を聞いて、「やさしさの精神病理」(大平健著、岩波新書)を思い出しました。この本は1995年に発刊されていますが、「傷つく、傷つけることを恐れるあまり、と深く関わらないようにする若者」が描かれています。例えば、「通学途中の電車内で、自分の前に立ったおじいさんを年寄り扱いしては悪いという“やさしい”思いから、寝たふりをしていた」女子高生などが描かれます。こういった"やさしさ"は、人の心を思いやっているのではなく、自分が傷つかないためのように思えてなりません。例えば、「匿名のネットコミュニケーション」では自分が傷つくことはありません。だから激しい攻撃性が現れる。本当に人の心を思いやっていれば、このような行動は現れないでしょう。
では、若者は人と関わりたくないのかと言えば、関わりたいと思います。ただそれよりも「傷つきたくない」ことが先に立つのだと思います。関わりたいけど傷つきたくない---そのジレンマから、ひきこもりも生まれるように思います。
でもなんで、そんなに傷つきたくないのでしょうか。傷つくことは、そんなにあってはならないことなのでしょうか。
2012年5月24日木曜日
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こんにちは、上原です。
返信削除早川先生の投稿を読み直しているうちに、どうにも気になってきたので、一つ質問させていただいてもよろしいでしょうか。
どうも近年、「空気を読む」ことに始終気を遣い、「親しい友達がたくさんいる」かのように振る舞っては疲れ切っている子が増えているようです。
以前、このブログでも話題になりましたが、一人で食べてるところを見られたくないので、トイレで弁当を食べる子がいる、という話も聞きます。
そこで私の質問なのですが、友達って、多ければいいってもんじゃないと思うのですが、心理学的にはどうなんでしょうか。どこにも1人も友達がいないのは苦しいと思いますが、毎日あえなくても、心から語り合える友達が1人か2人もいれば、人としてちゃんと元気に生きていけるんじゃないかと思うのですが…。
いつでもかまいませんので、お時間があったら、コメントいただけたらうれしいです。よろしくお願いします。
早川です。コメントが遅くなってすみません。
返信削除「友達って多ければいいものではないのではないか」ということですが、おそらくそれは「その人が集団の中でどのように位置しているか」によると思います。
例えば、集団の中の多数派にいて集団からはじかれるような思いを感じていないならば、「友達がたくさんいる」と感じているでしょうし、逆に少数派であると「友達が少ない(いない)」と感じるかもしれない。
今の民主党で言えば、小沢一郎さんのグループの方々は、「仲間が少ない」「離党するのはごく少数なのでは」と感じたりするのではないかと思いますし、孤立感を強めると思います。
私は、「友達」は、「親友」「友人」「知人」と呼び分けた方がよいように思っています。どのような親しさの人をその人が「友達」と呼んでいるのかは、注意が必要です。
上原さんの言われる「友達」は「親友」のことだと思います。それはおそらく、「どんな状態でも支持してくれる人」のことで、確かにそういう人が1人でもいればがんばれるでしょうね。でも、それほど親しい「親友」がいない場合、「知人」をたくさん持ちたがる、という心理になるのではないか、と思います。