心の病は、社会の病。

みんなが幸せに生きていけるように、より良い社会を求めて。

2012年5月7日月曜日

「真実」よりも「場の空気」の優先があきらめにつながる

こんばんわ。早川です。暖かくなってきたと思っていたら、暑さを感じる日も増えてきましたね。

さて、大森さんが引用された「日本人のタブーは超越的や神聖や差別などではなく、自分たちの現実の生活を脅かすものに対してのタブーなんです」という指摘は興味深いですね。自分たちの生活への影響を恐れて、自主規制してしまう、ということは確かにあるように思います。
例えば、東日本大震災後に生じた「自粛ムード」は、まさにこれのように思います。あの時は震災後の被災者を気遣う空気や節電の必要性の中で様々なイベントが中止になったわけですが、あの時の「自粛ムード」の多くは「被災者を気遣う気持ち」よりも、「イベントを実施することで批判を浴びて、生活に影響が出ることを恐れて」いたように思います。つまり、思いやりよりも自己防衛だったように思うのです。
このような日本で生きていくには、「伝えること」よりも「空気を読むこと」の方が大切になります。つまり、発信よりも受信というわけです。そして、読まなければいけないのは「相手の気持ち」ではなく、「その場の空気」ということになります。意見を表明する上で大切なのは、「その意見が真実か」とか「自分自身の意見か」と言ったことではなく、「場の空気に沿った意見なのかどうか」ということになります。若者の間でも「空気読めよー」といった言葉はよく交わされるようですね。日本で生きる上では、やはりムラ社会的な面から逃れられないのかもしれません。
このような在り方は、「場の空気」が正しい間はよいのですが、「場の空気」が変な方向に進んでしまうと、大変まずいことになります。空気を読まない発言こそがみんなにとって必要なのに、そのような発言は「集団への裏切り行為」と見なされてしまう。「リアルなコミュニケーションへのあきらめ」は、こんなところにもあるのかもしれません。
最近の企業の不祥事や、原発問題などを見ていると、このようなことから生じたドツボのように感じています。

0 件のコメント:

コメントを投稿