2012年4月26日木曜日
「どうせ伝わらない」と思ってしまう理由
こんにちは、大森です。
この頃、雨が多くてスッキリしませんね、何となく日本の現状と似たような雰囲気でちょっと憂鬱な感じですが(笑)
これまで「抑圧的な日本社会の問題」を考え続けており、前回の早川先生から、「リアルなコミュニケーションへの失望」---「どうせ伝わらない」というあきらめを感じる、とのご指摘がありました。
私も同様に「どうせ伝わらない」という感覚のおおもとは、「どうせ変わらない」という現実感が様々なことを抑圧的にしているからではないかと思います。
たとえば原発事故では、多くの人が「新しいエネルギーに変えなければならない」とわかっているにもかかわらず、現実には原子力関連の仕事をしている人が膨大な数でいたり、東電をはじめとした電力会社から仕事をもらっている下請け企業がとても多かったりして、そう簡単には変えられない、と考えてしまうのだと思います。
ある編集者がメディアで、「日本人のタブーは超越的や神聖や差別などではなく、自分たちの現実の生活を脅かすものに対してのタブーなんです」と言ってました。
どういう事かというと、大手新聞社は経営のために某宗教団体の印刷を請け負っているので、宗教に関しての批判的な記事は書かない、また、ある芸能事務所は大手から中小弱小に及ぶまでいろんな企業に広告を出しているので、タレントが事故を起こしても記事を書かない。
書けないではありません、書かないということです。
私自身の生活も含めて、僕達の現実が抑圧的なのは、このように、生活するためだけに働いていたり、会社に入っていたり、生きているからだと思います。
自分で理想や夢や希望を語ろうと思っても、「それでは生活できない」という規制というよりは抑圧を自分自身でかけているのだと思います。
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