心の病は、社会の病。

みんなが幸せに生きていけるように、より良い社会を求めて。

2011年8月7日日曜日

自分の気持ちを文章にするのは一番難しい

みなさん、すっかりご無沙汰いたしました。上原です。
震災から5ヶ月近く経ち、生活そのものはほぼ以前通りになりつつあるものの、気持ちの方はやはりそんなに簡単に元に戻るものでもないのだなあと、つくづく感じている今日この頃です。このブログも、書こうと思えば書けたはずなのに、どうもなかなか書く気になれず、結局大森さんの書き込みから1ヶ月以上も経ってしまいました。

改めて言うまでもなく、今回の震災は、東日本に住む人の心には、それぞれ確実に何か大きなものを残していきました。仮に街並みや生活がすっかり以前に戻ったとしても、心だけはそれ以前とは何かが決定的に違うだろう…そんな気がしています。まあ、それは別に、悪いことではないのですが、ただただ、重い。本当に重いです。今回の震災で受けた打撃は、あまりにも重くて、まだまだ当分の間、「あの時は…」などと簡単に振り返ることはできそうにありません。

さて、早川先生の書き込みでも、大森さんの書き込みでも、「言葉で気持ちを表すこと」が、一つのテーマになっていたと思います。「言葉で表すこと」は、フリーライターである私にとっては、職業上の大きなテーマの一つでもあります。ただ、作家と違いフリーライターは、「自分の気持ち」を表す必要があることは、あまり多くありません。フリーライターは依頼されて文章を書くことが多いため、「自分の気持ち」ではなく、「人の気持ち」や「情報」「現象」「状態」などを文章で表現する、そんな仕事なのです(あくまで私のとらえ方です)。

そんなライターの立場から言うと、「情報」「現象」「状態」などを文章で表すのは、それほど難しいことではありません。事実をできるだけありのままに言葉に置き換えれば、ある程度のことは伝えられるものです。それでは「人の気持ち」を文章にする時はどうか。これは簡単に言ってしまうと、取材などをもとに「○○さんは△△な気持ちで、□□な行動をしました」という風に、人の気持ちを自分なりに理解して書くケースです。人の気持ちを文章にするのは、「情報・現象・状態」に比べれば難しいとはいえ、やはりそれほど難しいことではありません。なぜなら、それはどこまでいっても「推測」以上のものにはなり得ないからです。当然、当たっている場合もあれば、はずれている場合もあります。でも、人の気持ちは所詮人の気持ちですから、ある意味、開き直って書いてみることはできるのです。

では「自分の気持ち」を文章にするのはどうか。実はこれが、何といっても一番難しいのです。自分の気持ちを書くわけですから、「多分自分はこう感じている」という書き方をするわけには、普通はなかなかいきません。やはり「自分はこう思う。こう感じた。こうしたい」とはっきり書かなければいけない、という気持ちでいっぱいになってしまうものです。

しかし、人は、いつも自分の気持ちをそうそう、はっきり、具体的に、しっかりつかめているはずがありません。それにもともと気持ちそのものが、常に揺れ動き、微妙に変化し続けています。そうした心の変化を自分自身で敏感に感じられてしまえばしまうほど、自分の気持がよくわからなくなってしまい、ましてやそれを言葉にするのは難しくなっていまうのです。

特に、今回の震災のような一大事や、個人的なことでもものすごく大きな出来事や悩みなどを抱えている場合は、自分の気持ちを文章にすることは、誰にとっても至難のわざだと思います。

ですから私は思うのです。もし、こんな時に作文を書こうと思うのであれば、ただただだらだらと、言葉を書き連ねてみればいいと。ちゃんとした筋道や結論、何を言いたいかなど、文章のセオリーは一切無視して、感じるままに言葉を連ねていく、それが一番いいように思うのです。それこそが、一番正直で、素直な、「いまの自分の気持ち」ではないでしょうか。また、おそらくそこには、カタルシス効果もあるでしょう。

さらに、そうやって自分の感情を言葉にしていくうちに、自分でもよくわかっていなかった心の状態が見えてきたりするものです。そして人は、自分の気持ちを自分の言葉でつかみとった瞬間に、何かを一つ乗り越える、私はそんなふうに感じています。

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