ごぶさたしております。早川です。
本当にすっかり間が空いてしまい、申し訳ありません。
この間、とても忙しかったのもあるのですが、なにを書けばよいのか、まとまらずにいました。ただ、迷っているよりも思うことを書こうと思い、書き込むことにしました。
大震災からはや8ヶ月。東京にいると、原発事故のことは日々のニュースから影響を感じますが、震災の影響を感じることは日々少なくなっているように感じています。もはや、震災のことは考えなくなってきている---ことに、強い違和感を感じずにいられないのです。もちろん、いつまでも震災のことばかりを気にしていては、気持ちは落ち着きませんし、精神的にも悪い影響があると思います。
今回の震災では、直接地震を体験しなかった西日本の方も、津波の映像などを見ていて精神的に不安定になられた方も多いと聞いています。このような大災害が起こると、精神的に強い影響を受けてしまわれる方もいらっしゃるので、災害の刺激から遠ざかる必要がある方もおられると思います。私も、地震の不安から早く自由になるべきと思いますし、恐怖や緊張を感じずに済む日々が続くことを強く望みます。
しかし、「日々の生活に不安を感じないこと」と、「今まさに先の見えない不安や、希望の見えない気持ちを抱いておられる人々がいることを、決して忘れない」「その人たちに何かできることがあればしていきたい気持ちを持ち続けること」は、同時にできることだと思うのです。もちろん、そのような気持ちを抱いている方々が多くおられることも知っています。東北支援の商品が多く売れ、東北支援の集まりに多くの人が集まることは、とても勇気づけられることだと思います。
このような「他者を思いやる気持ち」を持てることが、日本人の大きな強みだと思います。「他者を思いやる気持ち」とは、「自分よりも、皆のことを考えられる」ことですし、そのような気持ちがあるからこそ日本人はまとまりがよいのだと思います。
ただ心配なのが、「沖縄の基地問題」「TPPの問題」で垣間見えた、日本人のまとまりが分断されるような事実です。「沖縄の基地問題」は、日本の国防の問題は日本人全体の問題なのに、いつのまにか「沖縄だけの問題」になってしまいました。「TPPの問題」も、「日本がこの先どのように外国とつきあっていくのか」という日本人全体で考えなければならない話のなのに、いつの間にか「農業の問題」だけになり、いつのまにかなんとなく参加が既定路線になりつつあります。
「自分の身に危害が加わらないことは、どこか人ごと」「それなのに、遠い世界のことも知りたがる」ということが、高度情報化の進んだ日本で起きていることです。「知りたいけれど、関わりたくない」「安全なところから高みの見物を決め込む」---高度情報化はこれを可能にしてしまいます。
しかしそんな虫のいい話は、やはり国を、人をおかしくしてしまいます。端的に言えば、そのような身勝手なことを続けていれば周囲の人は腹が立つでしょうし、人々は離れていき人のつながりも分断されていくでしょう。「知ることは関わること」---同じ日本人として、同時代を生きている者として、私はこれから東北のことを考えずに生きていくことはできない、と考えています。
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