心の病は、社会の病。

みんなが幸せに生きていけるように、より良い社会を求めて。

2011年6月30日木曜日

心と言葉

東日本大震災と原発問題が発生してから4ヶ月近くになろうとしています。日本政府の動きが鈍い分、東北の地元の人達は自らの力で復興しようという見事な気概を発揮されている一方、原発問題は解決の糸口が見つからず、これから先の何十年も重い課題を抱えたまま生きて行くのかと思うと、本当に毎日がつらいです。

前回、早川先生から「震災はまさに言葉を失う」というご意見がありました。実は私も震災の頃からTwitterで発言する数が減りました。その理由は、大震災の影響力が大きすぎて、自分の考えが言葉にできないのです。

なぜ、人は頭で考えたことや心に浮かんだこと、不安や恐怖や驚きを言葉にしなければ生きて行けないのだろう?まさに言葉にする行為こそが、生きるという証であることのようにも思えて、それを今でも考え続けています。

あるジャーナリストが被災地の小学生に、3月11日当日に起こったことと今の気持ちを作文にして書いてもらうというプロジェクトを立ち上げたそうです。現実には半数近い子供たちが作文を書くことができずにいるそうで、このプロジェクトに対しても賛否両論あるそうです。

ただし、両親や親戚を亡くしても、自分の心に誠実に向かい作文を書く子もいます。失ったものは大きいのですが、困難な環境の中で出会う人達との新たな価値に希望や夢を見出して、将来は人の役に立つ警察官や消防士や自衛官になりたいという作文を書いた少年もいました。

やはり、自分の心を言葉で表すことはとても難しい。作文を書けない子供たちの心もわかります。私も最も敬愛する友人を亡くし、20年近く経つのですが自分の半身を持って行かれたようで今でも複雑なままです。作文を書けない子供たちは、無理せず作文を書かずに、その時が来るまでいつまでも待つことだと思います。

自分の心を正面から見つめて言葉にすること、これは勇気と忍耐が必要ですが逃げずにやらなければならない、とても大切な事だと思います。「気持ちの入った言葉」でなければ他者に伝わることがなく、本当の現実を作り出すこともできないのだと思います。

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