書き込みが大変遅くなってしまい、すみません。この未曽有の災害の真っただ中で、私も右往左往していました。被災地でも、少しずつ復興の槌音が聞こえ始めたように聞いております。
私たちのブログの"復興"もそろそろ始めたいと思います。
前回、大森さんからは「めんどくさい」と言って人間関係を回避してしまうこと、上原さんからは「実社会よりもネット社会を大事に思える若者が増えているのではないか」というお話がありました。その直後に、今回の大震災が起こりました。今回は、「3.11後に起きたこと」を振り返りながら、私たちの人間関係や生活について感じたことを、つれづれなるままに述べてみたいと思います。
●「被災地の方々に、心よりお見舞い申し上げます」
震災後、あらゆる場面でこの言葉が述べられました。本当に、猫も杓子もと言う感じでこの言葉は使われていました。ただ、あまりにも乱用される中で、私は違和感を感じていました。
「人にはいろいろな感じ方があるのに、みんなが同じ言葉を使うとしたら、それはおかしいのではないか」
あの災害の前に、言葉を失ってなにも感じられない人もいるでしょうし、怖くなった人もいるでしょう。悲しくて泣いている人もいるでしょうし、自分自身が被災しなくてホッとしている人もいるはずです。
もちろん、「私はホッとしました」ということはなかなか言えないにせよ、真摯に災害と向き合った時に出てくる言葉はいろいろあるのではないでしょうか。
しかし実際は、判で押したように上の言葉が使われたように思います。これは、「感情の伴わない、コピーペーストの言葉」なのではないでしょうか。もちろん、この言葉を使っている人が悪意があるとは申しません。
ただ、心がこもっているというよりは、表面的な感じがぬぐえません。これなどは、大森さんが指摘された「めんどくさい人間関係から逃れる"紋切り型の言葉"」とも捉えられるかもしれません。
私自身、被災された方にメールを書くときに、本当に言葉に困ってしまって、なかなか書くことができませんでした。言葉はもっと、心から自然と出てくるものでよいと思います。そうであれば、人それぞれ違うのではないでしょうか。被災地の方々は、この言葉をどう感じているのでしょうか。聞いてみたい気持ちです。
●都市生活の中で麻痺していること
今回の震災では、災害の怖さ、いざという時の危険性などがはっきりと私たちに突きつけられました。しかし、私たちはその危険をどの程度胸に刻めているのでしょうか。直後こそ、防災グッズが飛ぶように売れたりしました。水の買い占めもありました。
さて、今は…。夏の節電対策は多くしていますが、災害への危機意識はかなり低下しているのではないでしょうか。都市生活は、危機意識を麻痺させるところがあるのかもしれません。都市は多くの人がいます。だから「みんなでやれば怖くない」と感じるのでしょうか。
ひょっとすると、日本は人口密度が高いから、危機意識を麻痺させなければ生きていけない国なのでしょうか。そんな危険なことはないと信じたいのですが…。
「現実感の乏しさ」という面では、ネット社会が大事に思える若者と災害への危機意識が薄れていく人たちは、共通した面があるように感じています。
●ボランティア体験はなにかを変えるか
阪神大震災以来、災害になるとボランティアの方々が活躍されています。今回の震災でも、多くの方が被災地を訪れているようです。私自身はいまだ被災地に行くことができていませんが、行かれた方々は皆一様に「これまでの災害とは比べ物にならない」と言われています。
さて、被災地でのボランティア体験は、体験した人のなにかを変えるのでしょうか。それはおそらく、「帰ってきてからどうするか」にかかっているのだと思います。被災地でなにかに取り組めば、それは必ず「気づき」や「出会い」があるのだと思います。それを、自分の地元に戻ってきてなにかにつなげられるかどうか。
例えば、それまでの生活で「めんどくさい」ばかり言っていた若者が、現地で人々との出会いがあり、気持ちの震える思いをしたとします。しかし、地元に戻ってまた「めんどくさい」ばかり言う生活に戻るとしたら、その人にとっての体験は「単なる思い出」になってしまいます。
そこで得たなにかを、地元に戻っても続けられるかどうか。そこでの体験を機に、自分の生活を変えられるかどうか。ボランティア体験を生かせるとすれば、そこにかかっているのだと思います。
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