みなさん、ごぶさたしました。上原です。
ここのところ続いている「距離感に繊細な日本語と対人関係」についての議論に関連して、気になるニュースが2つほどありましたので、今回はそれについてふれてみたいと思います。
その1:予備校生のカンニング事件にからんで
その手口の新しさから日本中が大騒ぎになりましたね。事件の本質としては、ようするに予備校生のカンニングですから、そのこと自体は大した問題ではないように思います。
私がこの事件において興味をひかれたのは、とある評論家が「この予備校生が知恵袋に質問する時は、必ず『よろしくお願いします』と書き、答えてもらうと『ありがとうございました』を忘れることなく、毎回大変律儀にルールを守っている。いわば彼は現実の社会のルールよりもネットの社会のルールを守っていたことになるのでは」と発言していたことです。
本当にそういうことになるのかはちょっとよくわかりませんが、とにかくネットが普及してからは、「現実社会」と「ネット社会」という二つの世界ができてしまい、人々がその二つの世界の狭間で右往左往してしまっているなあ、と私は改めて感じました。
「ネット社会」は「バーチャル社会」と言い換えてもいいのかもしれません。当然のことながら、現実社会とネット社会とでは、コミュニケーションにおける距離感のとりかたも、会話の仕方などもいろいろ異なります。どんなに注意していても、二つの世界を往き来しているうちに、人格が二つに分かれていくような妙な感覚に陥る危険性は誰にでもあると思います。そうしたことが人々の心にあたえる影響とその対策について、さらなる研究が必要ということでしょう。
その2:幼少期の写真よりも携帯が大事?
先日、新聞にのっていたのですが、日本人の3人に2人が「携帯電話をなくすより、幼少時の写真を失う方がまだいい」と回答したそうです。これは、日本、中国、台湾、シンガポール、インド、オーストラリアの6カ国で、18〜53歳を対象に実施された調査だそうで、幼少時の写真より携帯が大事だとした割合は、日本人が62%と飛び抜けて多かったのです。ちなみに他はシンガポール32%、中国15%、オーストラリア14%だったとか。まあ、この調査の趣旨等、細部がよくわからないのですが、「携帯電話をなくす」というのは、「いま持っている携帯」という意味なのでしょうか。おそらく、「今後一切携帯が使えなくなる」という意味ではないと思います。となると、正直、私にはちょっと信じられない数字です。日本人は寂しがりやで、誰かとつながっていないことに絶えられない、ということでしょうか。仲間意識が高い、とういう国民性からくるのでしょうか…?
2011年3月6日日曜日
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