心の病は、社会の病。

みんなが幸せに生きていけるように、より良い社会を求めて。

2011年2月14日月曜日

なぜ「めんどくさい」と言ってしまうのか。

こんにちは、大森です。
春になるかなぁ、と思ったら雪が降ったりでまだまだ寒いですね。

今年に入ってから「距離感に繊細な日本語と対人関係」について議論しています。前回、早川先生から「私たちは、他者との距離感がはかれる便利な日本語を持っているのに、ぶつかり合う人間関係を回避する傾向にあるので、うまくコミュニケーションできていない」というお話がありました。

確かに、自分自身も含めて、仕事上でもプライベートでもコンフリクト(衝突)を避けようとする傾向がありますね。また、この頃とても気になるのは、いろんな人と話をしていて必ずと言っていいほど出てくる、「めんどくさい」という言葉です。

いまメディアでは、優しい子供が多く、良好な親子関係や友だち関係を築いている、などと書かれていますが、実は子どもが両親の要望に対して素直に応えるのは、愛情からではなく、「めんどくさい」からではないでしょうか。部下が上司の言うことを聞いてそのとおりやるのも「めんどくさい」から。「めんどくさい」ので恋愛もしない。相手をとても配慮していて、一見、愛情があるようで、実はまったく愛がない関係。

ワンピースという冒険コミックがとても流行っているそうで、愛と友情で困難に立ち向かい克服する、というストーリーだそうです。1億冊以上の数が売れているということは、多くの人達がワンピースの世界に憧れているわけで、これは、今の僕達がそれだけ愛と友情を実感出来ていない、ということだと思います。

携帯電話やインターネットの影響もあるのでしょうが、私たちが接する年間の情報量は10年前と比べると470倍になっているそうで、あたりまえですが、人間の脳はその増加した量に処理がついていけていないそうです。僕たちは、処理しきれない情報量に囲まれているので「めんどくさい」と思ってしまうのでしょうか。

他人から興味を持たれたり、必要とされるということは、他の人が持っていない情報や特技を持っていることが必要とされます。しかし、情報量が増えて、だれもが情報にアクセスしやすくなっている現在は情報共有が行き渡っているので、殆どの人に差がない。皮肉なことに、情報が行き渡るほど、他者を必要とされる度合いも機会も減っているのかもしれません。

コンフリクト(衝突)を抱えても、「めんどくさい」を超えて関係を結ぶにはどうしたらいいんでしょうか、難しいです。

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