心の病は、社会の病。

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2010年12月28日火曜日

インターネットと相手との距離感

こんにちは、大森です。早いものでもう年末、みなさんいかがお過ごしでしょうか。
早川先生から「相手との距離を測るのも経験から」というご意見、上原さんから「直接、人に合わないと距離感をつかむ感度が落ちる」というご意見をいただきました。

そうなんですよね、人間って経験や学習をしないと生きていけない不思議な生き物ですよね。人間以外の動物はあまり学習せずとも遺伝子や本能に生き方が組み込まれているように見えます。人間が自然環境との間にズレを感じたり、なんとなく生きにくい感じを持ってしまうのは、学習しなければならない生き物だからかもしれませんね。

先日あるテレビ番組で、日本語を学習している外人が「日本語には厳しい階級がある」という興味深い発言をしていました。その人は「外国語では相手が社長であれ大統領であれ、話すときには名前で呼びかけるが、日本語では、上司や肩書き、年上か年下、それぞれで細かい話し方を心がけなければ、外人であっても非常識だと言われる。西欧よりも日本人のほうが階級意識や相手に対してとても厳しい」と発言していました。

私も先日、外資系の社長さんの誕生会に参加したのですが、相手の社長さんはこちらを呼び捨てにするのはもちろん、私に「名前や愛称で呼べ」と言ってくれました。しかし、私はなかなか慣れることができずに最後まで「ミスター○○」とか「○○さん」と話しかけてしまいました。

実は、日本人は歴史的に「相手との距離感に厳しくこだわる」文化を持っているのではないでしょうか。敬語を使うからと言って敬っているのではなく、保護してもらいたい、依存したい、はたまたもっと遠くへ離しておきたい(笑)とか。自分を守るための知恵が作った文化なのかもしれません。(実はココに私がテーマとしている“自己愛”の秘密があるような気もしています)

そんな日本人が顔が見えないインターネットでコミュニケーションするのですから、外国人にくらべたら余計なストレスがかかってしまうのはしょうがないかもしれませんね。しかし、インターネットで世界や他者との関係は近くなってきているのは事実だし、もう少し、カジュアルに構えて相手とコミュニケーションする必要があるのでしょうね。

来年の携帯電話の売上は、スマートフォンというiPhoneのようなインターネットにより親和性の高い機種が、既存の携帯電話を上回るそうです。インターネットとのかかわりは増えることはあれ減ることはもう無いでしょう。周りの環境がどんどん変わっていってしまうので、早川先生のご発言とおり、失敗を重ねて経験を積むことと周りは寛容になること、が大切だと思います。

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