心の病は、社会の病。

みんなが幸せに生きていけるように、より良い社会を求めて。

2010年11月7日日曜日

僕たちの心が不安定な理由は…

こんにちは、大森です。

Twitterに絡んで、いまのぼくたちのコミュニケーションの在りようと良い面と悪い面をそれぞれ見てきました。Twitterは他人への覗き趣味や甘えを増長するので、たしかに使い方によっては危険な部分もあります。特に小生の懲りない失敗は、酔っ払った勢いでTwitterでつぶやくこと(切実)。相手を傷つけたり、あらぬ噂を流したり、これは反省しなければなりません。

一方でTwitterやブログは自分で利用の選択ができることと、コメントを無視してもそのまま場(ば)は成立するので、立ち振る舞いがうまくできれば本当に便利な道具でもあります。

この頃つくづく思うのは、尖閣諸島のビデオ問題のとおり、政府がビデオを隠そうとしても、デジタル化したモノはどうしても情報共有されやすくなってしまった、インターネットとデジタル化で世の中のあり方が全く変わってしまったのだということ。これは個人がコントロールできる範囲に限界があり、社会や法律やルールだけではなく、慣習なども含めて意識と規範を変えざるを得ない時代になったのだと思います。

デジタル化およびインターネット社会とは、あらゆる人が時間と空間の制限を超えて情報を共有できる社会のことです。情報が共有されれば、みんなが平等で自由な社会が訪れるはずだ、というビジョンがありましたが、皮肉なことに、すべての人に同じ情報が同じタイミングで提供されるので、情報の受け手の地アタマの良さや教育履歴によって人生が決まってしまうという世の中になったことも事実です。

小学校でも教科書だけで教える先生よりも、パソコンのプレゼンテーションソフトで自ら教材を作って進行し、その資料を生徒に配布共有させて授業をする先生が人気があるそうで、現場の先生たちもITやデジタル化に戦々恐々だそうです。まさに、先生たちの地アタマの良さや教育履歴が問われているのでしょう。

残酷ながら個人の能力が明確になってしまう社会は、必然的に格差を生むことになります。だからこそ、教育機会は平等であるべきだと考えます。これからは、高校レベルの教育とITリテラシーは誰もが身に着けなければならない知識なので、無償で学習機会を提供する法案と制度が必要です。

いまの社会はTwitterやインターネットに関するITリテラシーが教育されていないので、その影響が対人関係にも表れていると思います。インターネットやTwitterは表向きは他者に肯定しておきながら、現実にはそれに反する行動や言動をとることが可能でもあります。それは、他者において疑心暗鬼になり、相手との距離感がわからなくなるということです。

実はこれが今の僕たちや若い人たちの心の状態ともいえる、初対面の人に馴れ馴れしくしたり、親しい人にいきなりキレてしまう、という現象になっていると思うのですが、いかがでしょうか?

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