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2010年10月24日日曜日

ツィッターの魅力が強いからこそ……

こんにちは。上原です。
早川先生から、ツィッターやブログについて2回にわたって書き込みいただきましたが、みなさんはどのようにお感じになりましたでしょうか。

 私自身、「目的のはっきりしないツィッターやブログを書く気持ちは、どうも理解しずらい」に端を発し、あれこれ考えてきました。前回、早川先生が書かれていたことの中に、私が思っていたことのほとんどが含まれていた感じでしたが、ツィッターについて、最後にもう少しだけ書きとめさせていただきます。

 英語のtwitterは「鳥のさえずり」という意味ですが、日本語では「つぶやき」と訳されています。まず、ツィッターが出始めの頃、私はこのタイトルにとても違和感を感じておりました。そもそも日本語の「つぶやき」のイメージは、「独り言」というか、「他の人に聞かれることをあまり意識しないでぽろっと出る言葉」、という感じがします。そう考えると、「私のつぶやきをみなさん、聞いて!」というのは、なんだかおかしいなあと思ったわけです。

 繰り返しになりますが、人に向けて発信するからには、ツィッターもあくまでも「発言」です。だから、ツィッターを使う時も「つぶやく」感覚ではなく、あくまでも「発言」と思って使った方が良いと思います。実際、そう思って言葉を選んで書き込んでいる人もけっこういらっしゃると思います。「発言」と思えば、少し思いをめぐらしてから書くでしょうし、あまりにも安易な言葉は出てこないでしょう。

 まあ、本当は、あくまでも気楽に、感じたことをぱっと言葉にしてみんなに聞いてもらうというのがツィッターの面白さであり楽しさなんだろうなあと思います。その気持ちよさは、まったくわからないわけではありません。でも、早川先生が前回最後の方で書かれているように、「ツィッターの魅力の強さゆえに、みなが依存してしまい、きちんと考えることや、きちんと目の前の人と向き合うことから逃げてしまうことにならないか心配」になる要素は確かにあると思います。

 もう一つだけ付け加えますと、美意識の問題があります。これは単なる好き・嫌いの問題なのかもしれませんが、私の中には「感じたことや思ったことを、簡単に(不特定多数の)人前で口に出す、というのはどんなもんだろうか」という気持ちがあります。親しい仲間内だけでやるぶんには良いかもしれませんが、誰にでも読まれる可能性があるところであまりに気軽に発言するのは、どうも奥ゆかしさに欠けるというか、何というか……。これには反論もあろうかと思いますが。

 以上、こうして並べてみると、「ツィッターにせよブログにせよ、公に出すものなのだから、やっぱりよく考えてから発言した方が良いのではないか」というのが、私の考えの根幹にあるのだと思います。

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