心の病は、社会の病。

みんなが幸せに生きていけるように、より良い社会を求めて。

2010年9月30日木曜日

ツイッターにまつわるいくつかの懸念(その1)

●私の中にある「ネット上のコミュニケーションサービスへのアレルギー」

こんばんわ。早川です。今回も書き込みに時間を要してしまい申し訳ありません。

いつもは忙しくてなかなか書けないのですが、今回はどう書こうか悩んでいて時間がたってしまいました。私自身、ツイッターをしていません。食わず嫌いなのかもしれませんが、「ツイッターをしたい!」という気持ちにならないのと、ツイッターに対する漠然とした不安がぬぐい切れずにいるので、ツイッターに対して距離を取っています。「遠巻きにしてツイッターの流行を眺めている」という状況でしょうか。

私はインターネットやメールはかなりする方だと思います。skypが出る前からテレビ電話もしていましたし、自作でパソコンを組み立てたりもしていました。携帯はデコメはしませんが、普通にメールはしています。電話は仕事のことが多いのであまりかかってきてほしくないですが、まあします。ですので、ITへのアレルギーはありません。

私がしないのは、ブログ、SNS、ツイッターといった、ネット上でのコミュニケーションサービスの類です。(この「心と社会」はブログの枠組みで発信されていますが、その中身は一般的なブログのような「自分の生活レポート」ではなく、3人の個人による対論なので、ブログと同じものとは感じていません)これらのネット上でのコミュニケーションサービスに対しては、アレルギーがあると言ってもよいかもしれません。今回この文章を考える過程は、私にとっては「どうして私はこれらの「新しいコミュニケーションサービス」をしたいと思わないのか」「ツイッターに対する漠然とした不安の正体は何なのだろう」を考える過程でした。

●いろんな人に自分のつぶやきを聞かれたくない気持ち

なぜしたいと思わないのか、は、上原さんも話されていたようなことだと思います。「手の届く距離にいる人たちとのリアルな付き合いや、メールを介してのお付き合いでもう十分満足しているから」だと思います。大森さんの「ツイッターをしていると、オフラインで会った時の会話の内容が濃くなる」という話は“なるほど”と思いましたが、私の場合はむしろ「いろんな人に自分のつぶやきを聞かれたくないなー」と思いました。特定の人に話すなら、電話やメールで十分ですし、直接会って話す方がずっと安心です。幸いにして、私は現在、手の届く距離にいる人たちとつながれている実感を持てているので、あまり「つながりたい」欲望がわいてこないんです。ネットを介してつながりを求めるモチベーションは弱いと思います。

●何気ない一言がどんどん広がってしまう恐怖

次に漠然とした不安の正体ですが、「ひろがっていく、拡散していく不安」のようなものを感じています。ツイッターは「すごい速さで広がりを持つこと」こそが売りでしょうから、そのこと自体が私に不安をもたらしているようなのです。振り返ってみると、私も以前、(メール以外で)ネット上でコミュニケーションをしていたことがあります。今はもうなくなってしまったようですが、niftyの「ニフティ・フォーラム」です。ご存じない方も多いと思うので、下記を参照してみてください。
Wikipedia:ニフティーサーブ
ニフティの「フォーラム」が20年の歴史に幕
学生時代にシスオペ(フォーラムの管理人)の方に話を聞きに行ったこともありますが、このフォーラムは本当によくできていて、安心できるコミュニティーでした。ニフティー・サーブ自体が全員IDのあるクローズドなパソコン通信から始まっていて、フォーラムも登録制なので、匿名で相手を攻撃するような発言は怒らない。さらに、各フォーラムにはシスオペという管理人がいて、彼らは給料をもらって反応のない発言に答えたり不適切な発言への対応を行ったり――といった管理を行っており、その管理下で安心してやり取りができていました。いわば、「ほどよいコントロール下で、未知の方と自由な会話を楽しむ」ことができていました。こういったルールのようなものを精神科では「枠組み」とか「構造」と呼んだりしますが、枠組みがない状態というのは混沌としてくるので、とても不安になります。「自分がよく考えずに発した何気ない発言が、限りない世界に広がって行って、様々な人たちに伝わってしまう」ことが、私には怖いことに感じられるのです。

引き続き、次回もこの件について、早川がお送りします。

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