こんにちは、大森です。早速、上原さんの投稿に応答していきますね。
まず、ブログは個人サイトで個人的な意見表明や日記や備忘録の役割ですね。そして、Twitterは一言で表しにくいのですが、あえて表現すると「評判コミュニティー」でしょう。Twitterでの発言の影響は、フォローされている数によって違います。上原さんのご指摘通りフォロー数の多い人は言葉が独り歩きして大きな影響力を発揮するので発言に充分注意する必要がありますね、ちなみにダライ・ラマ尊師の発言は80万人にフォローされています。
Twitterの便利なところは、リアルなコミュニケーションの補完ツールであり、オフラインで会った時に日頃の発言が共有されているので会話の内容が濃くなる可能性があります。上原さんは、「コミュニケーション上手な人がTwitterを使う必要があるのか」と言われていましたが、これがコミュニケーションがうまい人でもわざわざTwitterを使う理由だと思います。
次に、インターネットの匿名性が問題ではないか、とのご意見ですが、TwitterとMixiに関しては、発言者が誰であるかはホボわかってしまいます。Mixiは友人の紹介がないとコミュニケーションできない仕組みになっています。Twitterは本人が特定できない場合は、発言しても大概無視されます。いまTwitterは仕事や商売で利用している人も多いので本名で発言する人が多くなっています。ニックネームであってもプロフィールのブログやサイトを見ると人物が特定できてしまいます。
さて、Twitterの胆(キモ)は、自己愛に満ちた発言を発揮しながらも、返信を期待しないところにあります。twitterの発言は時間とともに数多くの発言に埋もれ流されていくからです。生きる原動力や欲望は自己愛だと思います。私たちが食べ物を摂取したり、自分や他人に心がある(であろう)という前提で生きる型は自己愛なしには成り立たないでしょう。
Twitterの発言は他人との深いつながりというよりは、お互いが無事に生きていることぐらいの確認なのかもしれませんね。生きていることの証が家族や学校や職場で得られにくい人はTwitterやブログに見返りを求めてしまうかもしれませんが、その様な人はTwitterは手を出さないほうがイイかもしれませんね。
小生は、オフラインもTwitterも「相手に過度に期待しない」という気持ちを持っていたほうがいいと思います。具体的には、返信や返事が無くても平気を装うことです。「心が強いから平気を装える」と言われるかもしれませんが、小生の場合はそうではなく「自己愛が恥をかきたくないから平気を装う」という実にみじめな理由です。また今の社会は、みんなが自己愛に満ちているし、忙しい上にそれぞれの事情もあるので、自分が思うほど、相手はこちらのことを気にしてはいない、と思います。
宮崎県に口蹄疫が発生したとき、ある青年のTwitterでの発言が共感を呼び、支援活動が拡がったというよい事例もあります。一方で著名人や有名人同士の誹謗中傷合戦が毎日繰り広げられています(しかし、これは仕込まれたネタであり売名行為であることもあります)。
日本の大手新聞社は民主党代表選挙でもさんざん小沢降ろしをしておきながら、菅さんが代表になった瞬間に日本はダメになるというネガティブな記事ばかりを書く。しかし、インターネット上では小沢さん、菅さん双方の実績や将来性など独自に取材するメディアやTwitterで発言するジャーナリストもいます。これから私たちも、少しでもましな判断をするためには様々なところから情報を入手するのがよいと思います。もはやインターネットは電話と同じように好き嫌いは別として、生活に侵襲するツールでしょう。
小中学校で携帯電話とインターネットのリテラシー授業は必要ですね。インターネットを何の目的のために、どのように使うのがよいのかを教える必要があります。子供の頃からコミュニケーション弱者をつくらないようにしたほうがよいでしょう。子ども手当を家庭内のITに使うとか、あるいは家庭内のIT支援金などの制度を検討するのもコミュニケーション格差を埋めるものになると思います。
大森さん、投稿ありがとうございました。上原です。
返信削除大森さんの投稿を読んでいて、前回の私の発言が舌足らずだったように感じたので、この機会に補足させていただきたいと思います。『上原さんは、「コミュニケーション上手な人がTwitterを使う必要があるのか」と言われていましたが』という点についてです。
私は前回の投稿で『コミュニケーション上手な人が、ツィッターで「私を知って!」と叫びたくなることはあんまりないんじゃないか』と書きましたが、この点について別の言い方をすれば、「コミュニケーション上手な人」と「コミュニケーションが苦手な人」では、ツィッターで発言するときの気持ちの状態が違うような気がする、という意味合いになります。わかりづらくてすみませんでした。
コミュニケーションが上手、苦手にかかわらず、ツィッターもブログも、要は使う時の心持ちが肝心ですよね(まあ、何でもそうなんですが)。そして、「コミュニケーション上手な人がツィッターを上手に使えば、日々のコミュニケーションもより深まる」ということは言えると思います。これがつまり、大森さんがおっしゃっている「リアルなコミュニケーションの補完ツールとしてツィッターを使うと、日々の会話がより濃くなる」ということでしょう。
ですから、「Twitterの発言は他人との深いつながりというよりは、お互いが無事に生きていることぐらいの確認なのかもしれませんね。生きていることの証が家族や学校や職場で得られにくい人はTwitterやブログに見返りを求めてしまうかもしれませんが、その様な人はTwitterは手を出さないほうがイイかもしれませんね」という大森さんのご意見に、私もまったく同感です。
インターネットも道具で包丁と同じで使い方次第だ、という意見があります。小生はちょっとニュアンスが違って、インターネットは道具というより手段だと捉えたほうがイイと思います。
返信削除つまりインターネットは決して目的にはならない、ということです。携帯電話も電話機を買うのが目的だったり、通話やメールするのが目的で買うのではありませんよね。他者に何かを伝えたい、そのために通話や携帯メールを使うのですから。包丁のほうがモノとしての美しさがあるので、まだ包丁自体が所有したり鑑賞したりする目的になりやすいかも(笑)
いずれにしても手段に落ちないようにする、そのためにはリテラシーが必要になるということだと思います。