こんばんは。早川です。
ちょっと夏バテ気味で、書き込みが遅くなってしまい申し訳ありません。
さて、「電話というメディア」の話から、「わかってもらおうとする力が退化した結果としてのひきこもり」という話になりましたね。非常に面白い展開ですね。ひきこもりについては、先日面白い記事を見つけました。読売新聞のwebの記事で、ファイナンシャル・プランナーの畠中雅子さんという方が書かれています。http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/kouza/fp/01/20100804-OYT8T00775.htm
「この方は、リアルにひきこもりの人たちと接しているのだなあ」と感じる文章です。実際にひきこもりの方と接していると、とても「外に出ようよ」なんて言えなくなります。畠中さんのおっしゃる、「生活保護にならず、いかに親の資産で食いつなぐか」というのは、かなり現実的な話なんですよね。ひきこもりについてのリアルな実感が示されている記事だなあと感じました。ひょっとしてこれも、「気持ちをうまく表現できない人を受け入れる社会」ということになるのでしょうか。
さて、大森さんの「ひきこもり状態にある方のコミュニケーション訓練ツールとして、Twitterやブログは役に立たないだろうか」という話ですが、これが実は、思ったほどうまくいかないんです。私自身は、Twitterもブログもしていませんが、担当している子どもがブログをやっていて「見てよー」ということはありました。ただそれが「なにかリアルなコミュニケーションの役に立ったか」と言えば、役に立ったとは言えない気がします。バーチャルな世界はとても楽なので、そこが充実すればするほど、リアルな世界のコミュニケーションが面倒になってしまうのではないでしょうか。例外的には、「不登校だった子ががんばって学校に行って、そこでクラスメイトがネットゲームをやっているのを知り、同じネットゲームをやったらネット上で出会うことができ、そのことからリアルな人間関係が広がって行った」ということがありました。これは、リアルな世界へのモチベーションが高い子が、ネットの容易さをうまく利用して克服できた例ですが、多くのひきこもりのケースでは、そもそも「リアルな世界に戻ろう」というモチベーションは低くなっています。「学校に行かなきゃ」という葛藤が残っている不登校(学校には行けないが、外出はできる)のレベルでは、「学校仲間と、ネットゲームをやる」なんて言うことは有効なのかしれませんが、ひきこもり状態になってしまうと、もう社会参加のモチベーションはほとんどなくなっているので、ネットの世界をリアルにつなげるのはそう簡単ではないです。
ひきこもりの人への支援で何が難しいかと言えば、自尊心の問題なんです。度重なる失敗経験によって自尊心が極めて低下しているので、「私ならできる」とか「またリアルな世界に戻ろう」というような意欲がとても低くなっている。もし彼らが意欲を持つことができれば、その時はネットの技術がとても役立つかもしれません。
ちょっと長くなってしまいましたが、虐待についても少しだけ述べておきます。虐待の報道を聞くたびに、私もなんとも言えない違和感を覚えることがあります。虐待という事象は、確かに「普通」の世界では起こり得ないことだと思います。ただ現代社会では、多くの人が容易に「普通ではなくなっている」ように感じています。大阪の虐待事例は、ホスト遊びにはまってしまった女性が加害者だったとか。しかし、歌舞伎町などのホストクラブの隆盛を見るにつけ、「ホスト遊び」といういわば「普通ではない世界」に足を踏み入れている人は、決して少なくないと思うんです。「普通は素晴らしい」「普通が一番」というような価値観は、現代では「かっこ悪い」とされてしまいます。そのような時代の中を生きていて、虐待の加害者を「自分とはまるで違う人だから、自分とはまったく関係ない」と決めつけているようなスタンスは、どうにもウソ臭く感じてしまうのです。
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