こんばんわ。早川です。
このブログの進め方を巡ってあれこれ試行錯誤中ですが、私としては一度原点に戻って、お二人の質問に医療の立場から答えるやり方をしてみようと思います。それがよいかどうか、またご意見をうかがっていきたいです。
まずは大森さんのお話。
「心(精神)においてゲームが現実(リアル)に及ぼす影響はあるのか」
●肥大化した自己愛を守るためのバーチャル世界
なかなか興味深いテーマです。
バーチャルと児童精神科と言えば、この「ネトゲ廃人」の方のような、いわゆる“ひきこもり”のことを、韓国では「インターネット依存症」としてとらえている、という話があります。韓国はネットの普及が日本よりも急激だったため、ネット依存がとても目立ったようです。ただ、日本でもひきこもり青年は実質的にはネット依存とほぼイコールのようにも思えます。どうやら、ネットとひきこもりの間には、何らかの密接な関係があるようなんですね。それはなんなのか。
仮に、ネットやゲームがなかったとしたら、ひきこもりが成り立つかどうか、考えてみてください。ネットやゲーム、テレビも多チャンネルではなく番組が限られているとしたら、ひきこもりを長期にわたって継続するのはつらいでしょう。実際、ひきこもり青年のひきこもる環境は、なかなかもって快適な環境にいたりします(もちろん例外もありますが)。この「快適な環境」はなにを意味しているか。
心理学の言葉で「自己愛」というものがあります。別名、ナルシシズムというやつです。自己愛と聞くとなんだか困ったもののような印象がありますが、現在の精神分析における主流派の自己心理学によれば、自己愛は程よく満たすことが必要で、そうすれば安定して生きていけると考えます。ところが、さまざまな要因でこの自己愛が過小になったり肥化したりしてしまうことがあります。過小になると些細なことで傷つくので、他者との交わりを避けるようになる。つまりひきこもりがちになります。逆に肥大化した時は、自分の周りを自分にとって心地よいものだけで固めようとしてしまう。つまり、ひきこもりは極めて自己愛的な行為である場合が多いのです(もちろん、例外あり)。
さて、先ほどの「ネトゲ廃人」ですが、彼もまた自己愛的にネット上で家族を作ったんだと思います。つまり、自分の頭の中で理想として描いたままの家族を構築したんですね。でも、それは相手の人格を無視したものであるし、独りよがりです。相手がロボットであればいつまでも成り立ちますが、人格を持った人間であればいつかは破たんします。以前も触れましたが、やはり他者とは異質なものです。その異質さに耐えられなくてひきこもったわけですから、作り上げられた家族は必然的にとても自己愛的だったということです。家族を求めたと言っても、それはとても自己愛的な家族であり、言ってみれば幼児のころに何をしても「偉いね」と言ってくれた親のようなイメージの家族にすぎないわけです。
●バーチャルをひきこもり脱出に活用できないか?
さて、バーチャルがリアルに影響を与えることはいくらでもありますが、これは一般的にはあまり良い意味で使われないように思います。いわく、「残酷なゲームをしていたから残酷な犯罪が起こった」とか、「格闘ゲームをしているから暴れるんだ」とか。
そのようなことはまったくない、とは言えませんが、子どもたちを見ていると「そういうゲームをしてくれているから、今くらいの状態で済んでいる」と感じる場合の方が多いです。格闘ゲームをするから粗暴になるのではなく、イライラするから格闘ゲームで発散している。だから、別にゲームがなくても元々イライラしているわけです。むしろ、ゲームがあるからイライラは発散できているわけで、ゲームがなければそのイライラは爆発するかもしれない。
ただ、今のバーチャルの世界で一つ私が心配なのは、大きな流れをコントロールできていないことです。今は、子どもたちが賢くつきあってくれることに期待するしかない状態だと思います。そこに、もう少し戦略的なものを持ち込めないか。例えば、バーチャルリアリティなんて、うまく使えばひきこもり脱出のための大きな武器になるでしょう。しかしそのように使われることはなく、「そんなものがあるからひきこもりが生じるんだ」というような現実無視の話ばかりが聞こえます。
先ほどは、ひきこもり維持するものとしてバーチャルを取り上げましたが、バーチャルがあるからひきこもるのではないでしょう。ひきこもらざるを得ないなんらかの原因がまずあり、その上で快適なバーチャル空間の中にひきこもるという順番でしょう。そして、そのひきこもらざるを得ない原因の多くは、文句ばかり言っている当の大人たちが作り上げた現代社会にあるでしょう。
私は、バーチャルはうまく活用してひきこもり脱出のために役立てていくべきだと思います。
●小児医療は高齢者医療の後を追う?
次に上原さんの「後期高齢者医療制度」の話ですが、新政府はやはり廃止にする方向みたいですね。
確かに、いやーな名前の制度ですよね。なんだかセンスがないなー。もう少しネーミングが何とかならなかったかな、と思います。
子どもを診ている者として一つ心配なのは、ほんの数十年前の高齢者と同じ扱いをいまは子どもたちが受けており、今後いずれ同じようになるのではないか、ということです。
医療費の無料化という扱いは、結局患者側の自己愛(ワガママ?)を肥大化させてしまい、自分を抑制することをなくしてしまいます。それが続いた時、いずれは激しい揺れ戻しが来るのでは?
子どもの医療費無料化は、結局高齢者医療と同じ道を歩みそうなので、私は心配です。
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