今回からテーマを絞ってブログを展開します。問題の原因や対処法など、できるだけ明確にできるとよいのですが。今回は早川先生と大森で前回の投稿に続いて「自己愛とバーチャル世界」について議論します。このテーマが一段落したら上原さんの「小児医療と高齢者医療制度」にバトンタッチさせていただきます。
●自己愛の過小と肥大
自己愛はなぜ発生するのでしょうか?誰もが赤ん坊の頃は自分を認識することはできないので、たぶん、家族から名指しされることで自己愛が生まれるのではないかと考えられます。とすると子供には親の理想や欲望が埋め込まれているのではないでしょうか。親の子供に対する育て方だけではなく、例えば子供の命名にそれが表れているのもひとつだと思います。
それゆえ自己愛が過小化や肥大化するのは、やはり家族からの接し方や愛され方が原因でしょうか。過剰に愛されると肥大化して、邪険にされると過小化する。程よいバランスの子供を育てるには、ダメなときは叱り、良いときには褒めるという凡庸な意見になってしまいますが、それができない今はとても困難な社会だと思います。息子が万引きをしたのにお店の店長に「なんで諭すことをしなかったんだ」と逆ギレするモンスターペアレンツなどの存在はそれを示していると思います。
モンスターペアレンツの子供たちが全部問題児であるとは思いませんが、子供にしてみれば社会と家族の規範がまったく異なることで、大いに悩み困惑することはありえるでしょう。そんな子供にとっては、社会は生きにくく家庭にひきこもることのほうが自己防衛になると考えるのはある意味で合理的です。ひょっとしたら社会と家族に引き裂かれて自己を分裂させるようなひきこもりではない別の病を発病している子供もいるかもしれませんね。自己愛も行き着く場所が無く、彷徨う時代になったということでしょうか。
●自己愛の逃避先としてのバーチャル
バーチャルリアリティとは仮想現実のことですが、まったく不思議なものですね。現実に存在する幻想なのですから(笑)。現実の入れ子構造というか、夢にも似ているようなものですね。
前回の「ネトゲ廃人」はバーチャルな世界でしたがリアルな他者と出会い、自分の思うようにならないので犯罪を犯しました。リアルな他者と出会いながらもそれを認識できずにバーチャルなままでいたこの少年の精神のありようはどのような状態だったのでしょうか、そのようにしてしまうのがバーチャルリアイリティの特徴なのかもしれませんね。
バーチャルリアリティにはネットだけではなく単独のゲームもあります。ゲームのほうがリアルな他者に出会うことはないので、より自己愛に帰結し深入りしてしまうと思われますが、臨床の現場ではネットとゲームの差はどのように表れているのでしょうか?
ゲームやバーチャルリアイリティが自己愛を満たすための逃避先になることはわかりましたが、なぜゲームやバーチャルリアイリティは麻薬のような常習性と依存性があるのでしょうか?限りなく自己愛を満足させ陶酔させるからだ、ということもわかりますが、ネットやゲームにはステージをクリアしなければ次に進めないというハードルや困難も設定されています。それを越えてまで耽りこむとは…。
児童精神科ではどのような解釈がなされているのか、また自己愛をそこから断ち切るための方法はどのようなものがあるのでしょうか?
2010年3月17日水曜日
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