心の病は、社会の病。

みんなが幸せに生きていけるように、より良い社会を求めて。

2010年3月16日火曜日

心の問題への向き合い方

こんばんわ。早川です。
大森さん、上原さんからの投稿はなかなか難しくて、どう書くかに窮していましたが、待っていてもいい案が出るわけでもないようなので書くことにしました。

まず「心に悩みを抱える大人との向き合い方」ですね。
大人と子どもでは、受診の前提が大きく違います。子どもの場合、自分から進んで受診するということはまずないですが、大人の場合は原則として自分で進んで受診されるわけです。つまり、「何らかの心の問題がある」ということを自覚されているわけです。

診察ではそのことを話し合います。子どもの場合はそうはいきません。大人は「問題だ」と思っていても、子どもは「どこが?」と言う場合が少なくない。ただ、この難しさは今回の話とはずれるので触れません。

話し合っていった上で、「休んでください」「休めないです」というやり取りはよく起こります。そこでどうするかはまさにケースバイケースですが、まずはよい解決法がないかを探ります。

心のゆとりをなくしているわけですから、普通なら思いつくような解決策を思いついていないこともあります。いろいろな情報を聞きながら、そのことを探っていく。その上でも見つからない場合はどうするか。「医療者としての責任を尽くした上で、本人の判断を尊重する」ということになると思います。

混乱した状態にあって自分の判断に責任が取れないような状態ならばそうもいきませんが、本人に責任能力があるならばその判断は尊重されるべきでしょう。医療者としては、本人に許可を得た上で支援してくれる家族に状況説明を行なったり、必要な診断書を発行したりはしますが、本人の意思を踏みにじることはできません。イメージとしては、「いろんなことが起こることを想定して様々な準備をした上で、待つ」という感じになると思います。


「やりたいことが見つからなかった時に、どう生きていくかを知ることだ」――まさにその通りです。
玄田有史さんというニート問題を専門にしている経済学者が、ニートの若者に「働くなんて、時間通りに出社して、タイムカードを押して、あとはなんとか時間を過ごして、定刻まで会社にいればいいんじゃない?」などと話したら、「そんないい加減じゃダメなんです!」と言われた、なんてお話をしていました。玄田さんによると、今のニートの若者は物を難しく考えすぎて、社会に出るのがこわくなってしまっている人が多いようです。確かに、不登校の子どもたちも似ていて、学校を過度に難しく考えていて、学校に出るのがこわくなってしまっています。

そんなときに、「そんなことじゃだめだ!もっと真剣に考えないと」なんて子どもに言ってしまっていないでしょうか?でも、大人自身自らを省みて、そんなに真剣に考えているのでしょうか?そんなに根を詰めて考えていたら、それこそ会社に行きたくなくなってしまいます。

会社だって、学校だって、どこかに楽しいことがあるからがんばれる。
何にも楽しいことがなくて続けるのは、さすがに難しいことでしょう。
大人だってそうなんだから、子どもだってそうなんじゃないか。大人ができないことを子どももできなくて当然じゃないか――私が前回お話したことは、まさにそんなことなんです。
私は、世の中を生きていくうえで、やらなきゃいけないことは多いけど、やりたいことはそんなにないんじゃないかと思います。

ただ、消費社会の中で「やりたい」と思い込まされていることは多いと思うし、「みんなによく思われたい」という願望も強いと思いますが、やりたいことはそんなにないように思います。だから、「本当にやりたいことを見つけられたら幸運だし、ぜひそれを手放さないようにしよう」と子どもたちには言ってあげたいですね。

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