心の病は、社会の病。

みんなが幸せに生きていけるように、より良い社会を求めて。

2010年3月17日水曜日

家族と教育

お疲れ様です、大森です。
忙しいという漢字は、心を亡くすということを表しているそうですよ。
忙しいのは、本当にいけませんね。

インフルエンザ騒ぎも終息に向かいつつある、というか行政とメディアが強引に終息に向かわせている感が無きにしも非ずですが(笑)。こういう危機的な状況の時には科学的な数字などをあげて理解促進を計るのが必要ですね。

さて、私たちの議論のテーマである「なぜゆとりをなくしてしまったか」、「その原因は教育では?」について投稿します。

ちょっと後戻りするようで恐縮ですが、小生は、やはり「家族」というものの困難さと、「ゆとりをなくしてしまった」ことは別の問題であり、かつ複雑に関係していると思っています。

まず「家族」は、いま映画監督の山田洋次さんが家族をテーマに「おとうと」という作品を撮られています。山田監督のお話では「現代における家族というものの難しさ」をテーマにしているそうです。

しかし、映画の歴史を振り返ると小津安二郎監督の一連の作品こそほとんど「家族の困難さ」をテーマにしており日本国内で沢山の人たちに観られただけではなく、欧米でも評価が高いことからすると、「家族」は戦前戦後にわたって国内外を問わず、私たちにとっていつまでも変わらない大変な問題なのだと思います。

つまり、「家族」というものは時代や民族を問わずコミュニケーション不全であり、これからの将来も簡単に問題が解決するモノではないということだと思います。そのただでさえ不完全で難しい「家族」がゆとりをなくしてしまったのだから本当に大変です。

ゆとりを無くしている理由は、このブログでも以前から出ているお話ですが高度成長期向けの教育や家族のあり方を続けているからかもしれませんね。早川先生がおっしゃるとおりマスプロ教育に限界を感じて、先生と生徒がコの字型で学習する学校が出てきているそうです。

今までの学校は生徒を将来の生産者として育てるべく、自働的に管理する仕組みになっています。教室の本質は先生と生徒が向かい合って学習することではなく、試験時に先生が生徒の後ろに立ち、生徒が見えないところで監視をし、生徒自らが自分を管理することにあります。

でも現代は、きっとこのような管理の方法ができなくなっているのでしょうね。

社会の要請が「効率のよい生産者」から「賢明な消費者」を育成しなければならないとすると、多様性の中から唯一必要なものを選び出す能力を育成しなければなりませんね。とすると、コの字型の教室にするだけではダメでしょうね。

生徒たちにとって異質で多様なのは、一番身近にいるクラスメイトだと思います。やっぱりクラスメイトとの共同作業や自己発表やそれに対して意見を述べ合うなど、そのようなカリキュラムを入れていくのが良いのではないでしょうか。

学校は「効率のよい生産者」と「賢明な消費者」を育てる目的があるのですが、はたして「家族」にはどのような目的があるのでしょうかね、難しいです。

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