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2010年3月17日水曜日

学校で教わること、家庭で覚えること

こんにちは、上原です。
投稿少し遅れて、すみませんでした。

さて、今回の討論で見えてきた問題点である「コミュニケーション不足」と「膨大な情報とのつきあい方」について、誰が教えてくれるのか、誰が責任をとってくれるのか、ということについて。

まず思うのは、早川先生もおっしゃる通り、当然のことながら教育の問題は大きいということ。世の中の変化に合わせて、学校で教える教科をもっと柔軟に変化させていくべきというのは、言うまでもないでしょう。まあ、ある程度のことは文科省もやっているんでしょうけど。

ただ、大人が何がしかについて子供に教育としてちゃんと教えられるようになるには、それなりに時間が必要です。特に「情報とのつき合い方」に関して言えば、いまの段階では、まだ大人たち自身がどうしていいかわからない状態であり、各研究もまだまだ不足している段階だと思われます。もちろん、だからといって「仕方ない」では済まないのですが……。

一方、「情報とのつき合い方」以上に大事な問題と思われる「コミュニケーション」についてですが、個人的には、これって果たして本当に授業で教えられるものなのか? という気もしています。人とのコミュニケーションは、本を読み、映画やドラマを見、あるいは先生の話などを聞き、教室で生徒同士が討論し、「なるほど、自分とは異質な考え方が存在するのか」と頭で考えることはあるし、それはそれで意味がないわけではないでしょうが、実際にはそういうところだけで学べるもんじゃない気がします。自分自身を顧みて考えると、コミュニケーションについて学んだのは、なんといっても家族が第一です。次いで友人。そして職場、という感じでしょうか。要するに、ことコミュニケーションに関しては、文字を介した学問よりも、実践あるのみ、という気がするのです。

そう考えると、やはり大森さんがおっしゃっている通り、「家族」のあり方の変化が、「コミュニケーション不足」を招く大きな一因になっている気がしますし、また、おそらく別の方向から考えれば、「家族のあり方」が変化してきていることが、親たちが心にゆとりをなくしていることと関係がありそうです。

人々は、幼い頃から家族とコミュニケーションをとりながら、人とのつき合い方、異質なものとのつき合い方を学んでいく。そして、それがその人のコミュニケーションの形の原型になるのでしょう。でも実際には、家族って温かいものであると同時に、すごくドロドロしたものでもある。いや、ドロドロしているならまだいいのかもしれません。一緒に住んでいるだけで、お互いに「無関心」「無関係」な感じになるよりは。近年では、そんなつながりの薄い家族も増えているようですね……。

と、今回もまとまらないままで申し訳ありませんが、とりあえずこのへんで。

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