こんばんわ。早川です。
新型インフルエンザ対策はひとまず落ち着き、だいぶ気持ちに余裕を取り戻している今日この頃です。
と思えばもう夏至ですね。一年も折り返しという感じがします。
さて、最近は討論が濃密になっていて、私もいろいろなことに気づかされています。
大森さんの言われる「“家族の困難さ”は普遍的なもの」ということですが、確かにその通りですね。ただ、こうは考えられないでしょうか?
「らん熟した消費社会の中では、“困難な家族”にこだわらなくとも生きられるようになっている」確かに、異なる者同士が一緒に生きていく「家族」は、いつの時代でも困難であったでしょう。
しかし、個人が一人で生きるのはとてもさみしく大変なことであり、だからこそ、かつては困難であったとしても家族は基本的な人の心のよりどころでした。ところが現代のように物と情報があふれる中では、必ずしも家族という形態を取らなくても、人は心のよりどころを得ることができます。
例えばネット上で、例えばペットと生きることで、例えばバーチャルな世界で――。
今はそんなに家族にこだわらなくてもよい時代になってしまっている気がします。
それは、「困難で面倒な家族から逃げてしまえる」とも言えるでしょう。
面倒なコミュニケーションを回避できてしまう――この辺りにも、コミュニケーション力の低下の一因が垣間見えます。
そして、そのような色彩がより強いのが、都会のように感じます。
面倒な人づきあいは極力排除していく都市文化――望む望まないに関わらず、そんな時代になってしまっていると思います。
上原さんの言われるとおり、コミュニケーションは学校で学ぶことではないでしょう。
ただ、そのような時代になってしまったことに対して、私たちはもう少し積極的に生きて行っていいはずです。「情報化時代になったら、情報に振り回されるようになってしまった…」「豊かになって楽できるようになったら、コミュニケーション力が落ちて孤立するようになってしまった…」
でもそれは仕方のないことだ、あきらめよう…としてしまうほど、人間は無力で流されるままの生き物なのでしょうか?
確かに学校で教える類のものではないかもしれない。実際、テレビを初めとしたマスコミなどからうける影響は多大でしょう。しかし、そういったものに対して私たちがもっと自覚的になって行くことだってできるはずです。
生きることや自分たちの将来に対して、今の日本人はあまりに無自覚的に思いますし、見方を変えればあまりに自信がないように感じます。
この、日本人のあまりに受動的で自信のない様子は、どこから来ているのでしょうか?
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