心の病は、社会の病。

みんなが幸せに生きていけるように、より良い社会を求めて。

2010年3月15日月曜日

A先生の場合:お互いの哲学をぶつけあう

前回の問いかけに対して、A先生は、次のように話してくださいました。
「日本には基本的に宗教が根付いていません。だから、死生観は人それぞれが個人個人で抱いているものだと思います。そうした重要な問題に一つひとつ応じていくには、医師が自分自身で、自分なりに哲学を持つしかない。その上で、お互いの哲学をぶつけあって、対話していくしかないんです。ですから、医師は自信を持つこと、自分の意見をしっかり持つこと、が必要です。医師が迷ったり、その場でなんとなく答えたり、不安に思っているところを出してしまっては、必死で生死について考えている患者さんに気持ちで負けてしまいます。どうやってそうした精神力をつけていくけばいいのかは難しい問題ですが、医師としての経験を積むことはもちろん、たとえば本を読んだり、自分の家族と話たりするという日々の経験の中で、培っていくしかないのではないでしょうか」

医師と患者が“お互いの哲学をぶつけあって”対話すること。それは、言い換えれば、人間同士が一対一で、真剣にコミュニケーションを築いているということにほかなりません。患者を実験サンプルやお客さんぐらいにしか考えていない医師も確かに存在しますが、A先生のように、患者をちゃんと人としてとらえ、人間関係を築こうとしている医師も存在しているのです。そう考えただけで、私は明るい気持ちになれる気がしました。

★★
本ブログの共催者の大森です。
このA先生のコメントにはとても深い意味を読み取ることができます。日本人にとって「善悪の基準はどこにあるのか」。キリスト教徒やイスラム教徒ではなく、真正の仏教徒や神道でもなく、西洋思想に対抗しうるほどの哲学を日常意識することがない日本人は、たぶん、A先生がおっしゃるとおり「目の前にいる他者と誠実にコミュニケーションして、世界観や意味を、無からお互い一緒に作り上げていかなければならない。」これしかないでしょう。
特に9.11以降の先進国に生きる人たちは、自らの不安や不信を、「勇気」や「善」や「他者への思いやり」そして「愛」という言葉でいかにごまかしてきたか。
A先生のような姿勢が、今の時代に必要な「他者と共存する」ことを拓く唯一の可能性だと思います。
僕らの日常のビジネスでは医療界のように究極のコミュニケーションが求められる場面はそうありませんが、本当は医療以外の業界も、同じスタイル(姿勢)のコミュニケーションを心がける必要があると思います。
この世が因果関係で成り立っているとするならば、自らの行為が必ず何らかの現象を引き起こすことになるのですから。
(コメント機能でエントリーしたかったのですが文字数オーバーになってしまったので本文に追記させていただきました)

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