心の病は、社会の病。

みんなが幸せに生きていけるように、より良い社会を求めて。

2010年3月17日水曜日

なぜ、心はゆとりをなくしてしまったのか?

暖かくなったり、寒くなったり、季節の変わり目は体調管理が難しいですね。
大森です。

早川先生から「なぜ、心はゆとりをなくしてしまったのでしょうか?」という問いかけがありました。

仕事の関係で脳科学系の資料を少しだけ読みましたが、その中で下條信輔さんという認知神経学の先生が「刺激の過剰」ということを書かれていました。それは、昔に比べると街にはネオンや音響効果、情報の速度が絶対的に過剰になっていて、脳の機能や心にも影響を与えている。そして、この過剰に脳はどこまで耐えられるであろうか?というと脳機能の可塑性(柔軟性)からすると簡単に容量の上限は設定できないであろう、という主旨でした。

脳機能の可能性からいうとホボ無限大なので明るいというか、これからもっと情報の量とスピードがどんどん上がっていくのかと思うと暗い気持ちにもなります。

このような「刺激の過剰」が心に余裕を無くしているのだと思います。
では、なぜ私たちはこれほどまでに刺激や情報を求めるのか?

●脳や心には刺激(情報)そのものが気持ちがよい
●経済行為の中で市場を活性化させるには情報を増やす必要がある

というようなことが考えられ、安易に資本主義に流れるのは良くない、
などと経済のせいにしたくもなるのですが、どうもそのような簡単なことではないと思っています。

小生は、「人は生きる根拠や理由が無い限り、それを満たしてくれるものを限りなく求めるものだ」と思います。どんな人生も根拠や理由が無い限り、これからもどんどん刺激(情報)を求めるであろうと思います。

よってゆとりを持つには、生きるということの無根拠性や理由の無さを受け止めて、むやみやたらに自分の心を埋められるものを求めない、ということになるのではないでしょうか。

でも、それはとても無理なことかもしれませんが。

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