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2010年3月17日水曜日

メールが「集団の結合を強固にした」ということは…

こんにちは。上原です。

前回、早川先生がご紹介されていた、「携帯電話の通話および携帯メールの社会ネットワークの比較分析(1):ネットワーク構造の特徴に関する分析」は面白い研究でしたね。ただ、さらっと読んだだけだと、正直ちょっぴり難しかったです。というわけで、少し横道にそれてしまうのですが、まずは、この研究について、私が疑問に思った点にふれさせていただきたいと思います。

この研究の「結果」ではっきりしたのは、(1)発信・送信回数および着信・受信回数に書かれている通り、いまの子どもたちが、ケータイでは通話よりもメールの方をずっと多く使っている、ということです。これはもう、確かなことですね。

難しかったのは、「結果」(2)社会ネットワーク分析、の部分です。書いてあることは正直よくわからなかったのですが、このマトリックス図は、点が人をさしていて、それぞれが、どの人とどれだけ通話orメール送受信をしたのかを線で結んで表している、ということですよね? となると、確かに、「通話」より「メール」の方が、線がたくさん結ばれていて、ネットワークがより複雑に、相互的に頻繁になっていることがわかります。

さて、私が疑問に感じたのは、「考察」でのべられている、下記の2つの表現です。

●通話よりもメールのほうが集団の結合をより強固にしていたのだと解釈できる
●児童間のコミュニケーションでよく用いられ、集団を緊密化させたのは、通話よりもメールであったといえる

これを受けて、早川先生も「日本人は、自然と集団を緊密化させる傾向を持つ。そのため、集団を緊密化させる力を持つメールを自然と用いている」と仮説を立てられています。で、ここでいう「集団の結合をより強固にする」とか「集団を緊密化させた」というのは、もっと簡単にわかりやすい言葉で言うと、どういうことになるでしょうか? 

どうしてここが気になったかと言いますと、どうも「集団の結合をより強固にした」「集団を緊密化させた」と言われると、なんだか「仲間同士、より結束が固くなり、親しさが増した」と言っているような印象を受けなくもなかったからです。でも、本来この研究結果であきらかになったのは、「通話よりメールの方が子どもたちは頻繁により多くの人と連絡をとりあうようになった」ということですよね? まあ、それが「結合をより強固にした」という表現になるのも、わからないじゃないのですが…。

私が一番気になるのは、子どもたちが実際にメールでやりとりしている内容が、かつて子どもたちが電話で話していたことよりも、非常に軽い、薄いものばかりになってきている、という可能性はないのか? という点です。こうした研究や実験では、連絡の回数やつきあいのある人数を数値にすることはできても、その親しさや深さを数値にすることは難しいし、そもそもこの研究は、そうしたコミュニケーションの親しさや深さは調査対象になっていないのですよね。

ここからは持論なのですが、本来、人々を幸せにするコミュニケーションとは、よりたくさんの人と頻繁につながればいいというものではないわけで(それも一つの能力ですが)、人数は少なくても深いつきあいって大事だと思うわけです。で、そういうコミュニケーションをとるには、やっぱりメールより電話、そして電話より対面ではないかと。となると「子どもたちのコミュニケーションはどんどん広く浅くなっている」とは言えないでしょうか。そしてその傾向が、ケータイのメールという便利なツールの出現によって助長されていくことはないのか、少々気がかりです。

というわけで、少し横道にそれてしまい、失礼しました。

さて、ようやくここからが本筋です。まずは早川先生の仮説にある「日本人の自然と集団を緊密化させる傾向」とは、具体的にはどんな感じなのか、もう少し詳しくお話をおうかがいしたいと思います。ではでは、どうぞよろしくお願いします。

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