●本当にケータイは日本人のコミュニケーションをおかしくしているのか
さて、ケータイとコミュニケーションについては、「ケータイが日本人のコミュニケーションをおかしくしている」という論調が多いように思います。しかし、若者を見ているとむしろ「ケータイによってコミュニケーション力が鍛えられている」ように感じることが多いように思います。実際、ケータイの存在によって、コミュニケーションをとる機会は圧倒的に増えたはずです。機会が増えれば技量は上がるはず。ただ、以前のような対面式のコミュニケーションではなく、機械を介した非対面式が中心になっているという、コミュニケーションの変容があったということなんだと思います。
私も、単純なケータイ万能論を唱えるつもりはありません。ケータイが怖いのは、コミュニケーションツールとしてあまりにも何でも出来過ぎる点にあります。だからこそ便利なわけで広まるのは当然と思いますが、ツールを使いこなす力がついていないのにポンっと与えてしまえば、うまく使えずに失敗してしまうのは当然です。つまり、「その子の使いこなす能力に応じたケータイ」とか「ケータイ・リテラシー教育」といった考え方が根付けば、ケータイの負の側面は減っていくと思います。
●ケータイの示す「日本人のコミュニケーションの特質」
上原さんは「ケータイによって直接会話を交わすことを避け、テキストベースばかりでコミュニケーションをとる方向に流れていく危険性」について心配されています。これについては、「日本人の持つ文化の特性ゆえに、ケータイがテキストベースで利用されている」と考えるべきではないかと思います。考えてみれば、テキストベースになっているのはなにもケータイだけではなく、ネットの掲示板やブログ、今流行りのTwitterもまた、テキストベースです。そして、最初に示したように、どうもケータイをメール中心で利用するのは日本人の特徴のようなのです。海外では通話の利用が多いとの報告もあります。
ここに面白い研究があります。
「携帯電話の通話および携帯メールの社会ネットワークの比較分析(1):ネットワーク構造の特徴に関する分析」「Kids K-tai プロジェクト」という東京大学、ベネッセ、NTT DoCoMoの共同研究ですが、小学6年生の携帯電話の利用を分析し、そのコミュニケーションの質を把握しようとしたものです。この研究は、「通話の社会ネットワークよりも,メールの社会ネットワークのほうが明らかにネットワーク構造の密度が高かった」「通話よりもメールのほうが集団の結合をより強固にしていた」「児童間のコミュニケーションでよく用いられ,集団を緊密化させたのは,通話よりもメールであったといえる」といった結論を導き出しています。
ここで一つの仮説を述べます。
「日本人は、自然と集団を緊密化させる傾向を持つ。そのため、集団を緊密化させる力を持つメールを自然と用いている」
実際、ケータイがあるからあのようなコミュニケーションをしてしまっている、というよりも、「そのようなコミュニケーションを取りたい気持ちがあるから、そうなっている」というのが子どもたちを見ていての実感に近いように思います。となると、私たちが見つめなければいけないのは、ケータイよりも、「日本人の自然と集団を緊密化させる傾向」の方ではないのでしょうか。
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