上原:先生はいつ頃から、どのような理由で医師を目指されるようになったのですか?
早川:もともと私は東京の出身で、小学校から高校まで立教で過ごしました。キリスト教の学校だったので、人に奉仕する精神の原型が、そこにあったと思います。でも高校3年の時に、これでいいのかな、このまま立教大学に進んでしまっていいのかな、仕事はどうしようかな、と、考え始めたんです。そこでいろいろ調べているうちに、もっと他の勉強をして、広い世界を経験しておきたいと思ったんです。
上原:その後、京都大学の総合人間学部に入学されていますよね?
早川:その時思ったのは、自分は人間に対する興味がすごくあるな、ということ。人間にかかわることがやりたい、というところまではわかったので、「総合人間学部」を受験して、運良く入学できたわけです。そして大学時代は、京都大学新聞社に所属して、いろんなところへ行ってインタビュー取材ばかりしていました。今思うと、自分探しだったんでしょうね。そんな中、1年目の冬に、京都大学医学部付属病院の先生にインタビューに行ったんです。自分がやりたいことは、「ああ、これなんだ」とわかったのは、その取材がきっかけでした。
上原:どんな取材だったのでしょうか??
早川:「新しくできた総合診療部※というものを取材して来い」と先輩に言われたんです。総合診療部は日本では新しい診療部門で、当時全国で増え始めたところでした。京都大学ではアメリカで総合診療などについて研究されていた福井次矢先生を中心に1993年4月に作られました。そこで福井先生にお話をうかがいに行ったのですが、あいにくお忙しくてほとんどお話ができませんでした。そうしたらたまたま講師の山本和利先生がいらっしゃったんです。山本先生との出会いが、私が医師を志したきっかけになりました。
上原:直接的なきっかけやエピソードを覚えていらっしゃいますか?
早川:ある日、山本先生が総合診療部の診察に、僕を見学者として連れて行ってくださったんです。その時たまたま病棟に、乳がんの多発転移でエンドステージのおばあさんが入院していらっしゃいました。後に、その1週間後に亡くなってしまったと聞いたのですが、僕が行った時は、先生と抱き合ったりして、すごく喜んでいたんです。そのおばあちゃんは、自分がもうすぐ死ぬとわかっていました。でも死ぬのは怖くない。ただ、家にいると家族に迷惑をかける。それが嫌だった。だから、自分が病院に入れて、こどもたちは好きな時だけ会いに来れるようになって、本当に良かったっと。癌の末期だから、モルヒネを使いながら痛みを抑えていました。かなり痛いはずなのに、それでもすごく喜んでいるんですよ、病院に入れたことを。その時、ああ、こういう仕事があるんだと思いました。そういう人間のすごい部分にかかわって、かつ、喜んでもらえるなんて、すごいことじゃないですか。この仕事はやりがいがあると、感じました。
※総合診療部とは…臓器や病気を診るのではなく、患者さん自身を診て、健康上の問題を医師が患者と一緒になって解決することが基本的な考え。可能な限り、責任を持って、継続して、患者全体を診て、必要に応じて専門各科と協力を図る。現在日本では、自分が何科にかかるかは、患者本人か病院の受付の人などが決めているが、総合診療部は、どんな症状の人もいったん受け入れ、必要であれば、各科を紹介する。実際のところ、多発転移を起こした癌患者、終末医療の患者など、どの科も受け入れ難い患者を引き受けているケースも多い。
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