こんばんわ大森です。
早川先生から「まじめに生産することが大変な時代」というお話を受けて、上原さんが「依存」について書かれました。
「依存」はとても複雑で難しいもののような気がします。人は誰しも家族や会社や貨幣、そして国にだって「依存」しないと生きていけません。しかし、性や薬、仕事やギャンブルに過度な「依存」をしてしまう人たちもあります。
いままで適度に依存できた家族や会社や仕事に、まったく依存することができなくなったから、他の事で代償を求めるようになってしまったのでしょうか?人間は「依存」するものが無いと生きていけないと思います。
「依存」にしろ「うつ病」にしろ、適応障害と言われることがあります。
先日、NHKスペシャルで「病の起源 読字障害」という特集がありました。
読字障害とは話したり聞いたり日常生活は普通にできるが文字だけが読めないという病気だそうで、現在、欧米では10人に一人、日本では20人に一人が読字障害だそうです。
しかし、人類の誕生の歴史からこの病の起源をたどっていくと、人間が文字という機能をマスターしたのは本当に最近のことであり、脳がその機能に対応できないことが起こることも在りうるとのことでした。
また、読字障害の人は文字を読む能力は低いが、図形や空間認識の能力は健常者の2倍の能力を持っているそうです。こうなると読字障害を病気というのもどうかと思ってしまいます。実は文字を獲得することによって、別の能力が失われていくのですから。
さて、「うつ病」なども障害と言われますが、読字障害に当てはめてみると、いまの私たちは技術革新によって文字を獲得したときと同じような臨界点を迎えているのかも知れません。
こうなると、人間が弱いから「うつ病」や「依存」になるのだという論理は成立たないでしょうね。また優しさや思いやりで「うつ病」を支えましょうというのもちょっと次元がずれているような気もします。
心や精神の病は、いまの私たちが今の生き方や、人間をどのように理解するのかが問われているのだとも思います。
2010年3月17日水曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿