心の病は、社会の病。

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2010年3月17日水曜日

読字障害と依存

こんばんわ。早川です。
書き込みにとても時間が空いてしまってすみませんでした。
学会やなにやらに終われる2週間でした。
では早速、本題に入りましょう。

 大森さんの言う「欧米では10人に一人、日本では20人に一人が読字障害」「読字障害の人は文字を読む能力は低いが、図形や空間認識の能力は健常者の2倍の能力を持っている」というお話は、NHKスペシャルからの情報でしょうか? 私自身はこの番組を見なかったのでわからないのですが、読字障害はそんなに多いものなのですね。

 ただ、現代を生きる子どもたちの能力が、昔とは大きく異なってきている可能性は、日々感じるところです。今の子どもたちは小さい頃からテレビやゲームのような画像処理を行なっていますし、複数の刺激の並列処理も繰り返し訓練しています。その一方で、一つのものに根を詰めて取り組む経験は少なくなっています。しかし、この変化を「進歩」と捉えるか「退化」と捉えるかは難しいところでしょう。IT産業の人たちは「今の子どもたちはすごい力を秘めている」と理解するかもしれませんし、伝統的な産業の人たちは「今の子どもたちは根気がない」と理解するかもしれない。ただ、今のような高度情報化社会を生きる上では、言語よりも画像処理に長けていくことは「生存に有利」なことなことなのかもしれません。

 ただ、言語と比べて画像のもつ危険があります。それは、「画像は概念があいまいになりやすい」ということではないでしょうか?伝えたいことが漠然としていても、画像であればなんとなく伝えられてしまう。手紙を書くときとテレビ電話で話す時のつきつめ方の違い、もしくは新聞とテレビの違いと言ってもよいかもしれません(つきつめた脚本を持つ映画の場合はきちんとした概念を持っているでしょうが)。あいまいな概念を多数処理していると、自然と矛盾が生じてくるように思います。ここが「依存」の種となっているように私は感じます。

 依存の定義は難しいですが、私は「コントロールロスになっている状態」という理解が一番しっくりきます。お酒もコントロールできて飲めている(やめられる時にやめられる)ならばよいですが、コントロールできなければアルコール依存でしょう。そして、あいまいな概念を多数処理していると、それらを一貫させることはとても難しくなります。つまり、コントロールロスに陥りやすい―――今はそんな時代なのではないでしょうか?

 「人間が弱いから依存になりやすい。だから強くなるべきだ」という話は、確かに精神論的であまりよいとは思いません。ただ、現代という時代の特性を見つめて、今の時代にあった生き方を模索することは必要に思います。特に、環境に流されやすい子どもたちにとっては。


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