心の病は、社会の病。

みんなが幸せに生きていけるように、より良い社会を求めて。

2010年3月17日水曜日

ゆとりとは何か? 打開策は??

こんばんわ。早川です。
明日からゴールデンウィークですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。

私からの「親が心にゆとりをなくしてしまっているのはなぜか」という問いにお2人からご返事をいただきました。大森さんの「刺激の過剰」の話、とても面白いですね。確かに、現代社会って脳を直接電気で刺激され続けているような感じがします。その象徴がテレビとゲームでしょう。目って、人体の中で唯一中枢神経が外から見える(眼の奥にある網膜は中枢神経です)器官なんです。その目を電気的信号で刺激し続けるわけですから、刺激が過剰になるのは道理でしょう。

そして、「人は生きる根拠や理由が無い限り、それを満たしてくれるものを限りなく求めるものだ」ということもなるほどと思いました。逆に言えば、生きる根拠や理由を見つけた人は、地に足をつけてどっしりと生きていけるのでしょう。そういう人はゆとりを持っているのかもしれません。すると、なぜ生きる根拠や理由が見つからなくなっているのかも、考えないといけないかもしれませんね。

上原さんの「昔もゆとりがなかったのでは?」という指摘は、とても重要なことだと思います。「ゆとりとはなんなのか」ということをきちんと考える大事なヒントです。「虐待の実数が増えたのか、単に発見される確率が上がっただけなのか」という議論も前からあるもので、これもなかなか難しい問題です。ただ、経済的に貧しいと、子どもとの関係が虐待的になるかというと、そんなことはないと思います。生きていくのが苦しいと、それは子どもへの接し方が不適切になる可能性はあります。

しかし、ひとまず食べていくことへの不安がないとすると、ゆとりを持って子どもと接することは十分可能です。むしろ、必死に働いて他に雑念が生じない方がいいこともありうる。

ゆとりとはどのようなものか。いろいろな定義はあるでしょうが、子どもと接する上で重要な「ゆとり」とは、私は「異質なものを取り込んでも耐えられる強さ」のようなものではないかと思います。子どもって、とっても異質な存在です。その異質な存在を自分の中に受け止めてもイライラせず、受け止められるかどうか。貧しい生活をしていても、自分の生き方に自信をもてていれば、異質なものに対して堂々としていられると思います。

少し議論が飛躍しますが、親が心にゆとりをなくしてしまったのは、自信がないからではないかと思います。それは、大森さんの言う「生きる根拠や理由が見つからない」からかもしれません。他には、世の中が複雑すぎてとても自分のやっていることに自信がもてなかったり、子どもと接する経験に乏しかったりすることも大きいかもしれません。

さて、いろいろな角度からの意見でいろいろなことが見えてきましたが、それではどうしたらいいのでしょうか。なにかよい打開策はあるのでしょうか。

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