こんにちは。上原です。
今回よりしばらく、上原⇔早川で、対話を展開していく予定です。さて、「医療」について考えることを目的にスタートしたこのブログですが、最近では「広く社会について考えるブログ」になりつつあります。医療や人々の生き方について考えることは、いまの日本の社会について考えることにつながっているわけで、当然といえば当然の流れなのかもしれません。そこで、今後も医療を常に意識しつつも、広く社会全体について意見を交換し合っていきたいと考えていますので、どうぞよろしくお願いいたします。
前回までの早川先生と大森さんのセッションがとても濃厚だっただけに、はてさて次のテーマはどうしたものかと考え始めたらすっかり迷ってしまい、書き込みが遅くなってしまいました…。で、ようやくたどりついたのが「日本人のコミュニケーション能力について」です。このテーマはいままでも何度もふれてきたことですが、やはり生きていく上でとても重要で、かつ精神の健康状態にも大変関係のあることがらなので、もう一度考えてみようと思った次第です。
日本人のコミュニケーション能力といえば、現代社会でまず浮かんでくるキーワードが「ケータイ」ではないでしょうか。とにかく、一定の世代(四十歳以下ぐらい?)にとって、ケータイが生活で非常に大きなウェイトを閉めているアイテムであるということは、間違いありません。そこで、まず、ケータイを通して、日本人のコミュニケーション能力について考えてみたいと思います。
もともとケータイとは、「誰かにすぐに話したいことがある時に使える便利な道具」として世に登場してきたはずです。もちろん、今でもその目的で使われている部分は多々あるのですが、最近はむしろ話すより、メールなど、ほかの機能のほうがずっと多く使われているのではないでしょうか。その理由をひとことでくくるわけにはいかないとは思いますが、あえて言うなら、人々は「直接話す」ことがどんどん苦手になっている、ということがあげられると思います。ケータイに限らず、何かの申し込みや手続き、問い合わせなどでも、電話申し込みではなく、メールやネット上、ファックスなどでの申し込み方法を利用する人がどんどん増えています。もちろんそれはシステムとして便利な部分もあるから増えているのでしょうが、「人と直接話さなくて済む」から、電話ではなくあえてそうした方法を利用するという人は、確実に増えていると思います(私自身を考えても、そういう時があります)。
少々乱暴ですが、こうした現状から日本人のコミュニケーションのとり方の動向をおおざっぱにまとめると、「直接話したくはないけれど、誰かといつもつながっていたい」ということになるのではないでしょうか。確かに、人と直接対話するのは、誰もが日々自然に行っているようでいて、実はけっこう大変なことです。しかしだからといって、便利な道具ができたために、直接対面することを避け、直接会話を交わすことを避け、活字(テキスト)ベースばかりでコミュニケーションをとる方向に流れていったとしたら、人々のコミュニケーション能力はいったいどうなってしまうのでしょうか。
早川先生は、最近の若い人たちと話していて、ケータイの功罪を感じたことなどはございませんでしょうか。とりあえずは、こんなところから、お話を始めてみたいと思います。
2010年3月17日水曜日
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