こんばんわ。早川です。
世の中はオリンピックにわき立っていますね。ただ、オリンピックを見るたびにいつも感じる違和感があります。4年間、一生懸命準備してきたものが、ちょっとの気の緩みやケガで無に帰してしまう現実と、私たち日本の日々の現実って、あまりにも違うものなのではないかと。
私たちが日々生きる日本の現実は、もっと暖かいものだと思います。私はそれを「甘い」と定する気はないのですが、それとオリンピック選手が向き合っている戦争のような厳しい現実とは、あまりにギャップがあるように思うのです。
ただ、私たちがオリンピックを知るには間に“マスコミ”という名のオブラートが入り現実の変換を行っているので、戦いの現実の苦味を直接知ることはあまりなく済んでいるわけですが、なんとなく解毒されたオリンピック報道を見るたびに、なんとも言えない違和感を感じてしまったりします。
さて余談はさておき、本題に入りましょう。
まずは大森さんの質問にお答えします。
心の領域における薬は、非常に重要な武器です。ただ、武器は強力であればあるほど、危険性もその分増すわけです。今の心の領域の薬における危険性は、なんといっても依存性の問題でしょう。心の領域の薬でもっとも依存性が高いのは、意外と知られていませんが抗不安薬(安定剤)と睡眠薬です。ですので、私は抗不安薬と睡眠薬は安易に出したくないと思っています。うまく使うととてもよく効くのですが、精神的に弱っている人は依存性も高まるものなので、薬に依存してしまいがちです。また、依存性が高くない薬でも、つらいときには薬を飲む行動に依存してしまうこともあります。先ほど、日本の「暖かい現実」の話が出ましたが、日本は甘えの文化と言われています。程よい甘えは生きていく上で大切なものですが、バランスを崩すと依存状態になりやすい。
では、心の領域の薬の役割とはどの辺りにあるかと言えば、「将来に希望を失わないため、ひとまず早急に心の下支えをする」というところにあると思います。大森さんも言われたように、心の病気の背景にはその人の抱える様々な問題が横たわっていたりします。しかし、得てしてその問題は簡単には解決しないものです。簡単に解決するものならば、そんなに悩んだりしません。だからこそ病気になる。そんなとき本人は、解決しないものと決め付けて絶望しがちです。その時に薬の必要があります。薬は本人の状況に関係なく、飲みさえすれば速やかに効く。そして薬が効いてくれている間に、なんとか現実を変えていく。これが薬の役割になるかと思います。
ただここでひとつの本を紹介しておきたいと思います。「抗うつ薬の功罪 SSRI論争と訴訟 LET THEM EAT PROZAC」(デイヴィッド・ヒーリー みすず書房 2005年)という本です。詳しくは読んでいただきたいのですが、薬にのみ頼ることの危険性と、薬の効果についてきちんとした論拠に基づいて書いた本です。特に、心の領域の薬が一大産業となっており、油断をしていると簡単に営利主義の渦に巻き込まれ「薬さえ飲んでいればいいんだ」と思ってしまい、本当に必要なものが見えなくなってしまうことがわかります。
私が治療をしていての実感としては、「本当は速やかにその人を支え、様々な問題を解決するためのインテンシブな関わりをしたいが、それだけの資源は今はなく、薬の力を借りなければとても治療ができない」ということではないかと思います。
次回は上原さんの質問にお答えする予定です。
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