こんばんわ。早川です。
年の瀬ですが、皆さんにとって今年はどんな一年だったのでしょうか?
私は、「少し立ち止まって考えるようになった一年」だったように思います。
これまでの何年かはひたすら走り続けるような日々でした。
来年も時に立ち止まって考えながら、しかし前に進んで行きたいと思っています。
さて、お2人から効率一辺倒の社会、生き方に対して疑問が示されました。
私もまた、効率だけの生き方には疑問があります。
例えば、医者の仕事を考えてみたとき、効率を追求する医者がはたしてよい医者なのかどうか、ということがあります。
もちろん、少ない時間で多くの患者さんを治せることは素晴らしいことです。無駄な処置や検査は極力省くべきでしょう。
しかしその考え方ゆえに生じたのが、「患者のたらしまわし」ではないでしょうか?
治療するのが本当に難しい患者さんというのは、やはりいるものです。
どんなに労力を割いても報われないのは、決して腕が悪いからばかりとは限りません。
そして、そういう患者さんは、効率の考え方から言えば、コストに見合わないわけです。
効率の考え方から言えば、「簡単に治る人をたくさん治すこと」が一番よいわけです。
でも、それが医療なのでしょうか?
以前、「絶対に失敗しないような手術だけしていれば、成功率100%の名医だ」という笑い話を聞いたことがあります。
もちろん、リスクの高い治療ばかり行うことがよいわけではないですが、簡単に治る人ばかり選り好みする医者がいたとすれば、それはよい医者とは言えないでしょう。
しかし、実際にそのように考える医者は多くないだろうと私は思います。
なぜなら、多くの医者は、表面的には効率の考え(=医療保険制度の考え方)に従いつつも、その心では「医療は効率ではない」ということを知っているからだと思います。
では、医療とは何なのか。これは、私のような若輩者が一から定義するのは困難なので、まずは有名なヒポクラテスの誓いを引用してみましょう。
「私は能力と判断の限り患者に利益すると思う養生法をとり、悪くて有害と知る方法を決してとらない。~~この誓いを守りつづける限り、私は、いつも医術の実施を楽しみつつ生きてすべての人から尊敬されるであろう。もしこの誓いを破るならばその反対の運命をたまわりたい。」(ヒポクラテスの誓い:小川鼎三訳より)
やはり、効率は念頭に置きつつも、治療優先というのが臨床家の感覚ではないでしょうか?
では、表題の「医者が“生産”しているもの」ってなんなのでしょうか?
やはり、お金の価値では図りがたいもののような気がします。
ヒポクラテスではないですが、「楽しみ」や「尊敬」というか、なにか精神的なもののような気がします。
そして、そういうものは医療だけではなく、教育などの効率ベースに乗りにくい領域で働くと手に入る「何か」だと思いますし、他のジャンルでもこのようなものは重要なのではないでしょうか?
以前、ボランティアに取り組んでいる人たちが「地域通貨」でボランティアの価値を定義していましたが、それに近いかもしれませんね。
この「何か」をきちんと定義して、それを「生産」していることが目に見えるようになると、効率主義から少し自由になれるのかな、と思います。
2010年3月17日水曜日
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