さて、「日本人の集団を緊密化させる傾向」についてです。
私が前々回に強調したかったのは、「なにか問題が起きると、携帯やインターネットなどのメディアのせいにされてしまうことがあるが、それはちょっと安易ではないか」ということです。それらのメディアが利用されるというのは、やっぱりそれらのメディアが必要とされるからなんです。ただ、だからと言って「全て仕方ない」というのはあまりに無責任です。私が大事にしたいのは、「自分たちにはそういう特性がある。だからこそこういう危うさを抱えている。だからこそこういうところに気をつけるべきだし、そのためにこんな力をつけていくべきだ」ということを明らかにしていきたい。単純に「携帯がすべて悪い」として携帯を禁止にするだけの対応では、現代社会の刺激の渦の中に適応できない子どもを育てるだけです。今の子どもたちに対して責任を果たすためには、「私たちは一体なぜ携帯メールをあんなに使ってしまうのか」ということを理解し、その対策を考えていくことでしょう。
「集団を緊密化させる傾向」は、特に現代の若者に限らず、昔から日本人にはよく見られたように思います。「ムラ社会」と言われるものがそれでしょう。日本の社会の中には、緊密化した集団がいくつも見られます。そして、そこにはきっと意味があるのだと思います。例えば、
・狭い世界の中で生きなければいけないからこそ、お互いがぶつかり合わないようにお互いについて知りあって衝突を避けていたとか。
・個人主義的なトレーニングを受けておらず自我意識が弱いから自分への不安が強く、周囲のことを探ろうとしているとか。
政治学者の丸山真男は「私たちはたえず外を向いてきょろきょろして新しいものを外なる世界に求めながら、そういうきょろきょろしている自分自身は一向に変わらない」とおっしゃったようですが、そのような傾向を持つからこそ、携帯もどっしりと一対一で通話をするのではなく、きょろきょろとメールをしてしまうのではないでしょうか(こんなにメールを使うのって、日本人くらいだそうですね)。となると、メールや携帯を制限するのではなく、日本人の自我の弱さや不安感を何とかしなければ、どうにもならないように思えるのです。
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