こんばんわ。早川です。
すこし間が空いてしまってすみませんでした。
3月に転勤するためその準備に追われて、すこし忙しい日々です。
さて――
大森さんのコメントの中で「イチローさんや石川遼さんの反抗期」「最近は反抗期が少なくなったのでは?」という話がありましたが、反抗期についてすこしコメントします。
大森さんが反抗期について「親を真似ていくうちに、親は神(絶対的な存在)ではないと気が付く時期があります。それが反抗期なのではないかと思います」と述べられましたが、私もそれでよいと思います。(第二次)反抗期というのは一般用語で、発達心理学的には思春期前期と呼ばれる時期がだいたいそれに当たります。この時期は親離れの時期で、一般的には中学生の時期です。この時期に親と自分が別の存在であると気づいてこそ、次の思春期中期でアイデンティティの確立に取り組めます。
さて、「反抗期がなかった」という方は時々おられます。かたや、「大人になっても反抗期が続いている」という方もいます。これは「反抗する必要があるかどうか」による差だと思います。つまり、年齢相応に親が子どもを突き放してくれた場合、反抗する必要はありません。しかし、親子の密着が強かったり、親が自立する上での障害である場合、反抗する必要が生じるわけです。「大人になっても反抗期」というのは、大人になっても親との密着が続いている場合に生じるのでしょう。石川遼さんの場合は、若くして世界を相手に戦っていますし、自分が親とは別の存在であるという証明をしっかり持っていますから、特に反抗する必要はなかったかもしれませんね。
では、「最近は反抗期が少なくなった?」ということはどうなのか。石川遼さんとはまた違うことでしょう。おそらくは、「自立する気がない」「自立するのが遅くなっている」ということではないでしょうか? ただ現在の社会を見渡すと、それは当然のことのように思えるのです。
「親がパトロンのようになっている」という話がありました。その言葉から私が連想したのは以前何かの新聞に載っていた「子どものペット化」という言葉です。子どもに小さいころからお金をかけ、猫のようにかわいがるのは、子どもをペットのような存在と感じているからではないか、と。
私はペット事情にはあまり詳しくないのでよくは知らないのですが、最近はペットを自分の子どものように扱う方が増えていると聞きます。と同時に子どものペット化が進んでいるとすると、ペットと子どもの距離が近づいているということになります。
最近のペットというのは、自分への愛情の投影対象になっているように感じられます。だから、自分の思い通りにしたくなるのでしょう。子どももまた同様です。親が自分の思い通りにしたくなっています。これは、貧しかった時代の子育てとは大きく異なっています。昔の子育ては、「労働力に育て上げること」が目的でした。人類が生き残っていくためには、大人になったら働いてもらう必要があった。だから、子どもは大人になる必要があり、親もそれを子どもに求めました。今はどうやら「子どもが子どものまま留まること」、いつまでもペットのようにかわいい存在でいること、親の思いを反映する存在でいることを親は求めるようです。そのために、多大なお金を子どもに投じる。それは「お金で子どもをたらしこむ」ようなことかもしれません(Ex.物を豊富に買い与えて言うことを聞かせる)。
そのような親の態度に対して子どものとる態度は2つに1つです。①親から自立するために徹底的に反抗する。②反抗をあきらめ親に甘え依存し少しでも多くのものを引き出すことを目指す。「反抗期がない」というのは、この②の姿勢ではないでしょうか?
ただ、ここで表題の問いを持ち出します。子どもは誰のものなのでしょうか?親のものなのでしょうか?
これが逆に私からお2人への問いです。
2010年3月17日水曜日
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