心の病は、社会の病。

みんなが幸せに生きていけるように、より良い社会を求めて。

2010年3月15日月曜日

斎藤環氏 中央公論4月号の論考

精神科医の斎藤環先生が中央公論2006年4月号に「ニートがそれでもホリエモンを支持する理由」というタイトルで寄稿している。
http://www.chuko.co.jp/koron/

繊細な人ほど社会の動向に敏感で時代を先取りしている、と思うときがある。小生の知り合いの知人友人を見ていても、精神を病んでいる人のほうが、時代のトレンドを捉えていて、そのなかで苦労している様子がわかる。斎藤環氏は精神科の医師として社会学的な発言が先鋭的でユニークな人だ。

この論文も斎藤環氏がニートと引きこもりの精神性を明確に表現していて共感するところがある。「勝ち組」とは「倫理観や価値判断に確固たる信念と自信を持っている人たち」であり、「負け組」とは「価値観や生き方に対する根本的な自信がなく、この世に自明な価値などない」と思っている人たちとのこと。

うーむぅ…この定義からすると小生も「生きるということに意味や根拠などない」と実感しているので、見事な負け組みである。

斎藤環氏は「ニートがホリエモンや小泉首相を支持するのはシステムの破壊者のように思えるからだ」と述べ、堀江の欲望のわかりにくさを挙げて、「堀江自らの欲望の欠如をシステマティックな「要求」の作動に置き換え自らの欲望を偽装し、際限のない膨張を強引に動機付けた」と面白い意見を展開している。

「すべてリセットで終わってしまえばいい」という負け組みにとって、堀江や小泉首相のような「壊した後に何も作れない人」は同類に見えたのかもしれない。

しかし、小生は自分のことも含めて本当の「負け組」は、堀江や小泉にも脱力していると思う。
「本物の負け組」のやるせなさは、ある意味で本質的に役に立たないような仕事や経済行為や社会に就かなければ人は生きていけないということにある。そういう意味では、「本物の負け組」にとって堀江も小泉もイチローも松井秀喜もみんな同じ切ない存在である。

「本物の負け組」は、そういう切ない人たちがいなければ、感動がありえないこともわかっている。一方、オリンピックで競技がはじまる前から叫ばれた「感動させます、感動したい、感動をありがとう」という馬鹿の連鎖反応に暗澹たる気持ちにもなる。

今後、景気がよくなれば格差社会で言われているようなニセの負け組はすぐにいなくなる。
景気がよくなろうと、変わらずに存在する「本物の負け組」が生きていけるような現代思想なり哲学、あるいは精神分析(精神医療)が必要だと心から思う。

そんな感覚にとても近いところにいるように思える斎藤環氏には、これからも「本物の負け組」の精神性や心象を積極的に語っていただけるように切に望む。

文責:大森

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