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2012年8月5日日曜日

大津のいじめ事件と原発問題の背景に共通して流れている"見て見ぬ振り"

こんばんわ。早川です。投稿が遅くなってすみません。
今回はお二人とも大津のいじめ事件に触れられていました。
このことは私が普段仕事をしている領域にも関わることなので、私もコメントしたいと思います。

今回の事件を聞いて、大森さんは自由が脅かされることに対して「激しい怒り」を、上原さんは何の対策も取らなかった学校と平気でいる加害者に対して「驚き」を感じられています。
私は、「自分の身近で起こっても何らおかしくない」という危機感や、なんとも言えない恐さや寂しさを感じました。
今回の事件のようなことは今の日本ではどこで起きてもおかしくないと思いますし、決して他人事には感じられません。あの事件に関わった人たちを"異常者"と片付けて自分たちが安心するべきではないと思います。むしろ、自分たちが知らずに持っている習慣の中に同様のものが眠っていることに気づいていくべきだと思います。

4/26の「『どうせ伝わらない』と思ってしまう理由」という投稿の中で、大森さんが「日本人のタブーは超越的や神聖や差別などではなく、自分たちの現実の生活を脅かすものに対してのタブーなんです」書けないではありません、書かないということです」と書かれていました。
今回の事件も、日常の生活を脅かされる、と感じた多くの大人、子どもたちが、良心の呵責を感じながら見て見ぬ振りをした――ということがあるのではないかと思います。私の仕事の領域には「児童虐待」ということがものがありますが、これも近所の人たちは以前から気づいている場合が多い。しかし、ためらいを感じてそのままになってしまい、何か起きてからとても後悔する方々が多いのです。それが最近では、見て見ぬ振りをせずに通報してくださる方々が増えてきました。


話を広げるようですが、原発問題も「なにかまずい気がするけれど、現実の生活に影響が出ては困る」ということで、日本人みんなで長い間見て見ぬ振りをしてきたのではないでしょうか。その意味では、毎週金曜に官邸前でデモをしている人々の出現は、「見て見ぬ振りをしがちな日本人気質」を大きく変える動きなのかもしれません。自由を守るためには、見て見ぬ振りではなく、納得のいかないものには声を上げ、異を唱えていく必要があると思います。

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