こんばんは。早川です。
今回は電話がテーマですね。メディア論は最初の大学の卒論のテーマでして、個人的にも非常に興味があってずっと考え続けているテーマです(あくまで素人考えですが)。
●「勧誘電話」と「精神科救急の電話」
電話と聞いて私が思いだすことが2つあります。1つは、最近よくかかってくる「勧誘電話」です。家の固定電話に勧誘の電話がかかってくることが、最近多くありませんか?私はなるべく早く切ってしまいますが、その後で「電話をかける人たちは、仕事とは言え大変だろうな」と考えたりします。もう1つは、精神科救急の電話です。精神科医として当直をしていると、患者さんから電話がかかってくることがあります。他の科では、緊急受診の必要性があるかどうかの医療的な判断を下すための情報を集めることが救急の電話の意味になりますが、精神科救急の場合は電話の意味合いは他科とは少し違ってきます。もちろん情報を集めることは大切ですが、精神科救急の場合はかけて来られる方が冷静さを失っている場合が多い(他の科でも救急はその傾向が強いですが)ので、混乱に巻き込まれず、冷静に距離を保って判断をしていくことが重要になります。あまり冷静に判断をすると「冷たい」と言われることもありますが、精神的なパニックに巻き込まれないことが精神科医としては重要なことと考えています。
●「勧誘電話」は戦うコミュニケーションか
さて、最初にあげた勧誘電話は、上原さんの言う「戦うコミュニケーション」なのでしょうか。私はそのような勧誘電話をやったことがないのではっきりとはわかりませんが、どうもそうではないように感じます。あのような電話には、マニュアルがあるようですね。実際、話をしていてあまり相手の心を感じないことが多いように思います。私には勧誘電話は、「心を閉ざしたコミュニケーション」のように思えてならないのです。言葉は多くやり取りしていても、心は深く閉ざしている、うわべだけのコミュニケーション。勧誘電話を一日中かける人からすれば、心なんてものを持ちこんでいたらとても仕事にならないでしょう。相手に伝わるように心を砕くよりも、次第にマニュアルに従い魂は抜いて、マシーンのようにひたすら電話をかけることになるのが当然の帰結でしょう。もし心をこめて電話をしていれば、電話をかけ続けているうちに心の病気になってしまうかもしれません。では精神科救急の電話はどうでしょうか?これは、精神症状についての話の場合は「戦うコミュニケーション」だと思いますが、クレーム的な電話の場合は少し違ってきます。クレームの場合は、相手に伝わるかどうかではなく、一方的に自己主張してすっきりすることが目的のようです。これも先の「勧誘電話」と同じように、コミュニケーションとして伝わることではなく、心を閉ざして言葉を連ねることが目的となります。
●「わかってもらおうとする」「わかろうとする」力の退化
元来コミュニケーションとは、双方が相手のメッセージを知りたいと思い、わかりあおうとする中で生まれてくるものでしょう。しかし、情報過多の現代では、「わかりたい」という面倒なことを避けて、「わかりやすいもの」や「わからせようとしてくれるもの」に流されがちです。テレビメディアが主流なのは、その「わかりやすさ」が原因でしょう。そのような時代の中で、「相手の気持ちをわかろう」とする力や、「相手に気持ちをわかってもらおう」とする力が低下しているように思います。「わかってもらおうとする」「わかろうとする」関係の店頭販売や訪問販売が衰退して、「数打ちゃ当たる」形式の勧誘電話が増えてきているのは、「わかってもらおうとする」「わかろうとする」日本人が減少してきているからではないでしょうか。前回私は、沖縄の普天間基地の問題を取り上げ、「日本人が他者の気持ちに鈍感になってきている」と言いました。あれから1ヶ月半がたち、現在普天間のことに心を砕いている方がどれくらいいるのでしょうか。普天間問題が恐ろしいと感じるのは、そのことが現代日本人の相互無関心と地続きであるように思えるからです。
●強力な力を持つメディアが日本人の心の在りようを変えた?
メディア論の立場からは、電話というメディアは、相手の状況におかまいなくかかってくるので、一方的で暴力的なメディアである、と理解されています。実際、「相手の状況や気持ちを考えていたら、電話がかけられなくなってしまった」――ということを経験された方おられるのではないでしょうか?メディアの発達は、メディア自身の持つ力を強化することで、ある種の強制力を持てるほどまでに発信者側の力を非常に強固にしていきました。しかしその結果として、発信者側はメディアの力に依存するようになり、受信者側はメディアの強制力から逃れるためにメディアに対して心を閉ざすようになった。そして「わかろうとする力」と「わかってもらおうとする力」が退化していったのだと思います。社会学者のマーシャル・マクルーハンは、「メディアはメッセージである」という有名な言葉を残しましたが、まさに「電話というメディアが使われること自体が、人々を変えるメッセージになった」と言えるのではないでしょうか。
2010年7月8日木曜日
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