禅僧である南直哉(曹洞宗)と玄侑宗久(臨済宗)の対談本「〈問い〉の問答―同時代禅僧対談」佼成出版社の中に“痴呆症”についての件がある。
玄侑宗久は、昔であれば痴呆も老いの同一現象として受け入れられたものが、現代は“痴呆症”という名前を作って、名づけることで新たな苦労を抱えることになる、という主旨の話をしている。
病気の種類もどんどん増えている。昔は風邪で済まされていたものが、今ではもっとほかの病気であったり、既存のカテゴリーに収まらない病気だ、などと診断されることもある。
理性的であるということは、合理的に生きることなのでよい一面もあるが、不可思議なものをわからないままにすることができず、その不可解なものに名前をつけたり、解釈したりして、
まさに「わかったような気になる」悪い一面もある。
南直哉は、そういう人間存在のわからなさ「自然」を、安易に霊魂や生まれ変わりという物語で納得するのではない方法で受け入れることが、すなわち「修行」である、という。
死と病という、誰にも訪れる「自然」を考えるための名著が生まれた。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿