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2016年12月31日土曜日

エスタブリッュメントのおごりと、権力への依存からの脱出

ごぶさたしております。早川です。今年も今日で終わりで、明日からいよいよ2017年ですね。年の瀬に今年を振り返ってみたいと思います。
大森さんからは「エスタブリッュメントの人も含めて皆不安になり感情的になっている」という話、上原さんからは「トランプ次期大統領が選ばれたこととブレグジットの話から、皆が自己中心的になっていくことへの不安」が述べられていました。
確かに、今年は理性よりも感情的なことで政治が動いたことが多くあったように思えます。年末には、オックスフォード英語辞典が今年の単語に「ポスト・トゥルース(真実)」を選んで話題にもなりました。ポスト・トゥルースとは「世論形成において、客観的事実が、感情や個人的信念に訴えるものより影響力を持たない状況」とのことで、つまり「人々が本当のことよりもウソでも威勢のいい言葉に流される現象」のことですね。
こうした現象を危惧する言葉をよく耳にしますが、私はあながちそうとも言えないのではないかと思うのです。
というのも、世論が感情や個人的信念に訴えることに流されたのは今に始まったことではないと思うのです。例えば、60年と70年の安保闘争や、激しい労使間の闘争は、まさに感情的な出来事だったと思います。ただ、これらは常にエスタブリッュメントの側が勝利してきたように思います。しかし、今年はエスタブリッュメントの側が敗北したという面もあるのではないでしょうか。
思えば、イギリスのEU離脱も、トランプ現象も、当初はエスタブリッュメント側の人々は「あんなものはどうせ消えていく」と考えて、たかをくくっていたように思います。しかし、そのようなおごった気持ちこそが、エスタブリッュメントへの信頼を減少させていったのではないでしょうか。イギリスのEU離脱においてはEUの官僚のおごり、トランプ現象ではワシントンの官僚のおごりですね。
一方で、人々もこれまで「エラい人に任せておけばいい」という権力への依存があったのではないでしょうか。しかし、権力は監視していかなければ、油断をし歪むのは当たり前のことです。今回のことは「人々が権力への依存をやめ、監視の目を強めた」ことの始まりのように思います。
もちろん、いずれの選択も今後を考えれば前途多難ですし、上手くいかないことや失望も多くあると思います。以前も述べたように、私は「威勢が良く中身がない言葉は、結局信頼を目減りさせるだけ」と思っているので、来年は中身のない言葉が明らかになれば信頼は減少していくでしょう。しかし、「人々の怒りは政治を動かしうる」という体験は、今後の政治を考える上で大きなターニングポイントになるのではないかと思います。

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