心の病は、社会の病。

みんなが幸せに生きていけるように、より良い社会を求めて。

2016年9月13日火曜日

不安で感情的になるのも仕方ないような…。

こんにちは、大森です。

早川先生から、「人間にとって長期的な安定した信頼感は重要なもの、しかし社会は長期的な利益を待つことに耐えられなくなり短期的な利益を安易に求めてしまう」という言うご指摘がありました。

なぜ私たちの社会は目先の利益や成果を求めるのでしょうか?

多くの企業が過去最高益で内部留保も最高額の数百兆円と言われています。数字だけ見れば余裕のある生活ができてもよさそうなものですが、なぜか実質賃金は上がらず世の中には停滞感や不公平感があります。

大手中小企業ほとんどの経営者が「災害、テロ、社会動向、業績不振など不測の事態に備えるには内部に資金を持っていなければならない」と言っており、社会のリーダー、トップにいる人達でさえみんな不安でしかたがないようです。

このような状況では、私のようなものが大きな不安を感じて情緒的になってしまうのは、しかたがないことだとも思ってしまいます。

イギリスが離脱したEUも選ばれし役人が特権的な制度をつくっていたり、アメリカもオバマケアは結局は中産階級の負担が大きくなってしまったり、リーダーの資質と言うよりは、リーダーも支持階級であるエスタブリッシュの権益を守らなければその地位を得られない、といういまの社会の仕組みが情緒的なものを生み出していると思うのです。

今こそ経済や社会においてルールセッティングする側のエスタブリッシュの人々に、本当に頑張っていただきたい。

しかし、エスタブリッシュは「自己評価が高い人達」でなければその地位を目指すことはなく、自己評価が高いということは、先般、東京大学の男子学生の強姦事件で「他の大学の女子学生は頭が悪いから」という発言や、相模原殺傷事件の犯人の言葉「役に立たない人間は不要だ」という感覚にも親和性があると思うので…やっぱりあまり期待できないのかなぁ…というのも正直なところです。

暗い話ですみません、でも文明って自然災害などではなく、こういうところから滅んでいくのではないだろうかと思ってしまうのです。

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