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2015年8月22日土曜日

言語化を無力にしないための「力の拮抗」

こんばんは。早川です。
さて、大森さんからは「集団的自衛権の議論に絡めて、言語化と情緒・主観的なアプローチの問題」、上原さんは「岩手の中学生男子の自殺を受けての、言語化が受け手に届かなかったこと」を話されていました。
これまで「言語化の重要性」について話し合ってきましたが、言語化では埋められない面がありますね。
・言語化の重要性 異なる考え、文化を持つ人たちで共有していくため。考え方がぶれないため。
・言語化の限界 情緒的なものが抜け落ちがち。伝わらない人には伝わらない。
確かに、情緒的な面が重んじられていると、言語は伝わりにくい。
もう一つ、大きな力関係がある場合、言葉は無力になりがちです。今の国会で言葉のやり取りが無力になってしまうのは、力関係があまりに大きいからでしょう。力で相手を圧迫するのは下品ですが、言葉のやり取りをするためにはある程度の力が必要なんだと思います。
対して自殺の訴えを見逃した学校の場合、学校側と生徒の間に大きな力の差があるのではないか、と思います。生徒が訴えても無力になってしまう。学校と生徒がきちんとやり取りをしていくためには、ある程度の力の拮抗がないと難しいのではないかと思います。

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