あけましておめでとうございます。上原です。
年末のばたばたとした衆院選も終わり、あっという間に新しい年になってしまいました。選挙の結果は、結局、自民党の勝ち、ということでしょうか。また、投票率の低さも問題になりましたね。
自民党の勝ちが良かったのか悪かったのかは、何とも申し上げられませんが、投票率が低かったことだけは、間違いなく「悪かった」ことでしょう。
この問題については、テレビや新聞でもたびたび取り上げられていましたが、選挙に行かないという人のうち目立っていたのは、「どうせ、どこに投票しても何も変わらない」という声だったように思います。
特に今回の解散・選挙は、「何のためにやるのかよくわからない」という声が大きく、そのために投票する気を無くした人は多かったのではないでしょう。
気持ちはよーくわかります。私も、「何のために莫大な税金使って解散するんだ」「この人!と思う候補者がいない」「今回の選挙を経ても、きっと何も変わらないんじゃないか」といった思いにかられました。
ひとことで言えば、「白けている」「情熱を持てない」という感じです。
この感覚は、私たちが昨年から議論を続けてきた「言語化」の問題においても、関係しているような気がします。
選挙において投票に行かないという態度は、言語化を避けている態度と、ある種似通っている部分があるでしょう。
私の場合は、今回の選挙に「白けて」いたけれど、その意思表示として、「白票」を投じてきました。それが今回の選挙に対する、私の意見の「言語化」に近いものだったと思います。
こうやって考えてみると、「言語化」=「意思表示」とも言い換えられますね。まあ、考えてみれば、当たり前のことではあるのですが。
そうすると、意思表示を避けるというのは、どういうことなんでしょう。「言わなくても察せよ」ということでしょうか。だとしたら、やはりそこには、相手に対する「甘え」があるような気もします。まあ、「絶望」あるいは「拒絶」なのかもしれませんが…。
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