心の病は、社会の病。

みんなが幸せに生きていけるように、より良い社会を求めて。

2014年12月11日木曜日

妥協と現実

こんにちは、大森です。

衆議院選挙の投票もあと4日後と迫りましたが、今回はどのような結果になるのでしょうか。

早川先生から「言語化」の観点で今の日本の政治を見ると、「議論が不可能な政治になっているのではないか」というご指摘がありました。

テレビの党首討論を見ていても、それぞれが主張を言い合うだけで交わるところは何もありません。それ以上にほとんど与党と変わらない政策を掲げている野党もわざと違いを目立たせるためにほんの少しの差異を過剰にアピールしています。

テレビ番組なので限られた時間内に発言しなければならず、自分たちの主張を押し通すということになるのでしょう。番組を見ていて考えたのは、企業でも限られた期間の中で成果を出すこと(例えば第三四半期の達成度など)があたりまえになっていて、まずは時間と成果、この2つが最も大切なことになっていることです。

今の世の中は「妥協」を探っていたりなどしたら、決められた期間で成果を上げることができなくなる、ということではないでしょうか。

そのような状態の中で成果をあげられるのは、声の大きい、つまり資本や体力がある人や集団、ということになり、格差の問題もここにあります。そして、資本と体力がある人ほど、自分が献身的に頑張って周りをよくしなければならない、利他的であらねばならないと思っています。

高度成長期のように答えはほぼ一つの世の中から、いまは停滞混迷期でほぼ答えはない世の中になってしまいました。不安だからこそ、断定したい、そんな心持ちになっているような感じがします。

私も早川先生の「妥協」と話し合いが大切だと思いますが、すでに「妥協」も理想の領域にあって意識が届きにくいものになっているのかもしれません。

2 件のコメント:

  1. 大森さん、上原です。

    最後のほうの一文が、いまひとつ意味がわからなかったのですが、この文のとおり受け取ればいいのかな。

    「資本と体力がある人ほど、自分が献身的に頑張って周りをよくしなければならない、利他的であらねばならないと思っています」

    次に書き込む前に、ちょっと、質問させていただきました。
    どうぞよろしくお願いします~

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    1. 上原さん

      前回の総選挙では消費税と議員削減が約束でしたが、議員削減はなされませんでした。

      この一文の意図は、議員が地元有権者のためには自らを犠牲にしたり自分の首を切ったりはできないという矛盾があるということなんです。

      自由と公正を守るための制度が、今の世の中に合っていない、そこに選択肢の多様性というよりは混迷を感じるのではないかと思うのです。

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