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2014年12月1日月曜日

公約よりも議論可能性

こんにちは。早川です。
私が言い出した「言語化を避ける人たちの存在」について、大森さんと上原さんからそれぞれご意見をいただきました。
大森さんは「言語化する労力を割くことを面倒臭がっているのではないかというニュアンスのお話をされていましたが、上原さんは「とは言え、言語化をしないわけにはいかないのではないか」とおっしゃっているように感じました。
-----そんな話をしている内に、世の中は総選挙になってしまいましたね。
私は、政治についてはよくわからないのですが、今の「言語化」の観点から最近の政治を見ていてちょっと感じていることがあります。
それは「議論が不可能な政治になっているのではないか」ということです。
マニュフェストや選挙公約が選挙のたびに挙げられ、そしてその公約をそれぞれ守ろうとして政治家の方々は活動されています。
しかし、それぞれの公約が違う以上、その全てがかなうことは決してないでしょうし、そのことは有権者も十分理解していると思います。
要は、「当初約束したことを、話し合いの中で少しでも実現できたかどうか」を、私たちは見ているのだと思います。
ですので、政治は議論を重ねて”言語化”を進める中で妥協点を探していくのではないかなぁと思っていました。
でも最近は、話し合いや議論は行われず、「この考えに乗れるか乗れないか」の二者択一が迫られがちなように思います。
政治もまた、「言語化を避ける」ようになっているのではないでしょうか。
でも、様々な異なる考え方の人たちがともに生きていく上では、言語化をして議論をしていくしかないと思います。
もし言語化を避け、互いに考えを変えていく過程を省くとすれば、異質なものが交わることはなく、より多くの人が合意できるような結論にはいたれなくなってしまうでしょう。

私は、政策や公約がどうかよりも、その人たちが言語化を避けないか、議論可能性を持っているかどうかで、候補者を選ぼうかと思っています。

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