心の病は、社会の病。

みんなが幸せに生きていけるように、より良い社会を求めて。

2014年11月11日火曜日

言語化を避けて、生きていけるのか?

こんにちは、上原です。

早川先生の書き込み以降、「言語化を避けたい人たち」についての議論が続いています。

私は、早川先生もおっしゃる通り、そういう人たちの裏側には、「これまでの日本的なこと」つまり、「言葉にしなくてもわかりあえるでしょう」といった感覚があるような気がします。そう考えると、この「言語化を避けたい人たち」が増えているという現象は、日本ならではのことと言えるのかもしれません。

しかし、不思議なのは、グローバル化に向けて変化しつつあるはずの日本で、なぜ時代に逆行するかのように「言語化を避けたい人たち」が増えているのか、ということ。

早川先生は、「言語化を避けたい人たち」について、若者だけを指していたのではないと思うのですが、最近の日本人、特に若者たちの間には、「そんな、はっきり、言葉にするなよ」といった感覚が強くなっている印象は、確かにあります。

彼らは概して、行儀がよく、わりと落ち着いていて、冷静な感じ。熱くなったり、取り乱したり、自分の意見をはっきり言うのは、「かっこうが悪い」とか「暑苦しい」と感じているような気がします。

平たく言えば、自分の意見や気持ちを全面に出すのを避けているということでしょうか。ある意味、コミュニケーションの拒否とも言えるでしょう。

そこへいくと、アメリカなどはそんな感覚ではそうそう生きていけない国なんでしょう。ドキュメンタリー番組などを見ていると、ごくごく普通の人々が、ものすごくはっきり自己主張しているのを見て、驚きます。

たとえば、先日のエボラの問題でも、自宅軟禁に反発した看護師の女性が、自ら自転車に乗って出かけるというパフォーマンスに打って出ていました。いいとか悪いとかの話ではなく、日本人の感覚からすると、驚きの自己主張力です。あのニュースを見て私は、意見の言い合いでは、とてもこの国の人たちに勝てる気がしないと、つくづく思いました。

でも、だからこそ私は、やっぱり、これからは日本でも言語化は避けられない気がしているのですが。

0 件のコメント:

コメントを投稿