心の病は、社会の病。

みんなが幸せに生きていけるように、より良い社会を求めて。

2014年10月22日水曜日

「もー、面倒くさいな、ほっといてくれよ」という感じでしょうか。

こんにちは、大森です。

早川先生から「実際に言語化を進めようとすると、言語化に反対する動きが起こります」というお話がありました。確かに、私も日々の生活の中でそのように感じることが多々あります。

私は言語化に反対する理由というか原因は下記のようなことではないかと考えています。
1.感情を言葉にできない
2.触らぬ神に祟りなし
3.習慣

それぞれ違う次元であることをご了解いただいた上で説明しますと…

1.感情を言葉にできない
人間は自分が納得するためには合理的なものだけではなく、感情の作用も必要だと思います。しかし、なぜ納得できないのか、理解できないのかを理屈では説明できても、感情の部分が言葉にできない、だからますますイライラ不安になって話をするのも嫌になってしまう。

2.触らぬ神に祟りなし
昔、私はかわいい赤ちゃんや子供がいると思わず「かわいいですね~抱っこさせてください」と言っていたものですが、今はもうそんなことを言おうものならお母さんたちが怪訝な顔や不快な反応をするだけです。最近もラーメン屋で横に座っただけで殴り踏み殺された事件がありました。もう、今の世の中、他者は何者か分からない不気味な存在なのです。

3.習慣
いつも仕事では成果を出すために忙しく、プライベートではLINEやSNSへの応答が大変であり、それが毎日の習慣なので、ちょっと考えなければならないことが起こると面倒で言葉になどしていられない気持ちになります。せっかく考えないでいいような習慣をつくりあげているのに邪魔をしないでくれよ、ということです。

価値観の相違で意見対立、などというのは遠い昔の話で、もはや同じ価値と趣味を共有する者同士でしか対話は成り立たないのかもしれませんね。

アメリカのゲーテッド・コミュニティやイスラム国などはそれが顕著に現れていると感じます。はてさて、どうしたものか…。

0 件のコメント:

コメントを投稿