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2014年10月11日土曜日

「言葉にしていこうとする人たち」と「言語化を避けたい人たち」の対立

早川です。
仕事にプライベートに立て込んでしまっていて、半年近く書き込めずすみませんでした。

さて、前回までは「世間」を言語化する話になっていて、大森さんも上原さんも「これからの日本で言語化は避けられないだろう」というご意見だったと思います。
ところが実際に言語化を進めようとすると、言語化に反対する動きが起こります。前回、上原さんが騒音の例を出された時に、「相手が日本人の家庭だったら、言語化してしまったことによって、逆に問題が発生したりすることもあったことでしょう」と書かれていましたが、まさにそうだと思います。
これは、「世間」レベルだけではなく、国家レベルでも起こっているように思います。今回の集団的自衛権の閣議決定なども、まさにそのような問題のように感じました。改憲論議という言語化を伴う作業ではなく、気分や空気感のような”なんとなく”のことで変えていくことは、とても「(これまでの)日本的なこと」と感じました。つまり、改憲論議を避けた背景に、「言語化を避けたい気持ち」(あえて言葉にしたくない)というような気持ちがあったのではないかと思うのです。これは、「言葉にしなくてもわかりあえる」ことが前提にあると思われ、すなわち「ある程度均質な集団」が前提であるように思います。
最近感じるのは、この「言葉にしていこうとする人たち」と「言語化を避けたい人たち」の対立は、今や左翼と右翼と呼ばれた人たちの対立よりも深刻なもののように思います。
なぜなら、そこでは議論が成立しないからです。

この状況はとても心配なことだと感じています。

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