心の病は、社会の病。

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2014年4月27日日曜日

好むと好まざるとにかかわらず…

こんにちは、上原です。

ここのところ、早川先生と大森さんの間で、日本人の世間とのかかわり方から、言語化の必要性についての対話が続けられていました。私もしばし考えていたのですが、正直、私には話がちょっと難しく(笑)、また、言語化については考えれば考えるほど深みにはまってしまう感じだったので、ここはひとつ、自分に引き戻して考えてみることにしました。

なぜ言語化が大切になってくるかという問題は、言うまでもなく、日本の国際化と切ってもきれない関係にある問題です。あり得ない話ですが、日本がずっと鎖国状態で、単一民族、単一言語の島国のままだったら、「不文律重視」の世の中のままでも成り立っていたと思うし、それはそれで、なかなか素晴らしい独自の文化が育まれていった可能性もあるような気がします。

でも、もはやそれは、ありえない話です。実際、私の家の周辺は、ここ10年ほどの間に韓国人の率がびっくりするほど上がりました。正確な数値はわかりませんが、街を歩いていて、明らかに耳に聞こえてくる言語と、目に飛び込んでくる言語に、大きな変化が表れているのです。

で、これは批判する気はないのですが、韓国の人々は日本人に比べると、声の大きさや騒音などに寛容です。そこはつまり、文化の違いということだと思うのですが、そのへんで、私の身近なところで小さな摩擦が起きていないとは言えない状況にあります。

以前、私の近所で、なにか騒音などが出たりすると、日本人同士、なかなかはっきり言えたりせず、人づてになんとなく「うるさいよ」という気持ちを伝えたり、それこそはっきり言語化することなく、なんとなく問題を本人に伝える、ということも多かったように思います。

でも今では、「あのうちは韓国人だから、はっきり言わないとわからない」と考える人が増えている気がします。そして、実際に、たとえば「夜中に掃除機をかけるのは近所迷惑になるので、やめてください」などと、はっきり伝えることが増えてきたようです。

その結果、指摘をうけた韓国人のご家庭の方は、「あ、そうでしたか、じゃあ、気を付けますね」と、あっさり事の次第を受け入れ、問題が解決したりします。でも、相手が日本人の家庭だったら、言語化してしまったことによって、逆に問題が発生したりすることもあったことでしょう。

そんなわけで、私の今日の結論ですが、今後、日本在住の外国人の方の数が増えるのは、目に見えています。そういう意味でも、「言語化」はいよいよ大事になってくるでしょう。そしてそれは、もう、いいも悪いもなく、まさに必要に迫られて、起こりつつあることのように感じています。

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